──本日はよろしくお願いします。まずは、『テイルコンチェルト』に関してお聞かせください。お二人はそれぞれ、当時どのような立場で本作に関わったのでしょうか。 松山氏:当時の私は社長ではなく、サイバーコネクトという会社もまだ立ち上がったばかりでした。最初は10人、1年半の開発期間の中で最終的に13人に増えましたが、その中で私はいちアーティストとして背景グラフィック全般を担当していました。また、会社やチームを代表し、本作のクライアントだったバンダイさんとミーティングを行うといった営業的なこともやっていました。 ──当時から幅広く動かれていたんですね。 松山氏:笑い話なんですけど、当時の名刺には「グラフィックデザイナー/営業」って書いてありましたからね(笑)。 ──その兼任は、かなり珍しい気がします(笑)。 松山氏:そして(創設メンバーでもある)新里はチームリーダーであり、ディレクターも務めました