タグ

blogに関するnombreのブックマーク (7)

  • 日記的 - finalventの日記

    人が自殺して、遺書なりを残すことがある。それが人の最後の言葉だというのは間違いないが最後の思いであったかどうかはよくわからないと思う。そしてそのわからなさというのはぼんやりと関心を持つ人に、さまざまな憶測というかゴシップが流れ混む。総じて見れば、死者を冒涜したくてたまらないのであり、それは自死へのある自然な嫌悪の表現なのかもしれない。つまり、そうして貶めることで自分の、自殺者への関心への薄暗がりを隠蔽したいのだろう。 自死者が最後に何を思ったのか。そこは究極のところわからない。というか質的にわからないものがあり、メタ的に見るとたいていは一種の精神疾患であり自己分裂なのではないかと思う。それはすでに書いた。あのおりのぶくまなりのコメントはざっと見たが、あまりそう思う人はいないようであった。私の疑問のコアは伝わってないのだろうとも思うし、伝わる必要もないのだが、自死者に対するある疑問がさら

    日記的 - finalventの日記
  • HugeDomains.com

    Captcha security check ikenie.com is for sale Please prove you're not a robot View Price Processing

  • こんな不思議なことがあるんだ・・・・・ - My Life Between Silicon Valley and Japan

    から帰国する飛行機の中で読んだ「将棋世界」2月号は充実の内容であった(片上五段のブログによると3月号も充実とのこと、楽しみ)。 しかし驚いたのが、55歳という若さで先ごろ逝去された真部八段(逝去後に贈九段)の絶局を巡る不思議な物語である。 この「将棋世界」2月号は、真部追悼特集になっており、多くの棋士が亡き真部を惜しみ、良い文章を寄せているが、いくつかの文章の内容を紐解いていくと、じつに不思議な物語が浮かびあがってくるのだ。 棋譜をあえて使わずに、この不思議な物語を追いかけてみたい。 話は、絶局となった昨年10月30日のC級2組順位戦に遡る。真部は最年少棋士の豊島四段(1990年生まれ)と対戦。午前11時58分。わずか33手。まだ戦いが始まる前に投了してしまった。あまりに体調が悪かったため、自分の手番で負けを宣言したのである。そして真部はそのまま入院し、11月24日、還らぬ人となった。

    こんな不思議なことがあるんだ・・・・・ - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 小林秀雄のこと - finalventの日記

    ざっと読んだだけでコンテクストがよくわからないのだけど。 ⇒橋治「小林秀雄の恵み」(2) - 日々平安録 こちらはスキーマティックなので理解しやすい⇒橋治「小林秀雄の恵み」(1) - 日々平安録 まあ、ただ、少し離れて、いわゆる小林と宣長のことということで、ちょこし。 以前にも書いたけど。 小林秀雄という人は、ちょっと私の強引な視点だけど、基的に西洋の枠組みでいえば神学をやった人。それを「身の丈」とか、「日常」とかいうため誤解される。けど、それは、いわゆる日常ではなく、近代合理主義や科学主義みたいにな世界観に対応している、人間の常識に潜む神学的信念の由来、根拠みたいなものであって、ある意味、フッサールの還元に近いものだ。またフッサールによる科学批判にも近い。 で、根幹には神秘的実在の明瞭な感覚があり、それは、実は小林の初期から一貫して流れている。 この問題は初期には女と罪の関係に表現

  • 464.jp は復活できるのか

    464.jpはえらい 464.jp、陥落 464.jp、滅亡 464.jp、復活 マンガの無断転載で懲役2年、執行猶予3年、罰金50万円の有罪判決を受けた村元寅次さんが帰ってきました。村元さんはボランティアではないのであって、無料でずっとやっていくつもりだったのではありません。無料で多少の立ち読みを許しつつも、最終的には定額制の読み放題サービスを実現するつもりだったわけです。けれども村元構想と著作者たちの希望する金額には大きな落差があり、交渉は失敗に終りました。 まあ、著作者の言い分を丸呑みするとバカ高い金額になってビジネスにならないことが容易に想像がつくわけで、マンガ業界にも JASRAC のようなものがあればよかったのにね、と思う。JASRAC の提示する価格を高いと思う人もいておかしくはないけれど、いちいちアーティストと直接に交渉するようになったら、交渉費用も含めてコストアップは間違

    nombre
    nombre 2006/06/15
  • みな論理的に話をしている

    1. 自分を論理的だと信じている人達(苦手な女性の共通点)、、(ちゃんみつさん) 以前も書いたのだけれど、感情論はたいてい、論理がしっかりしている。 私は白い壁が好き+あなたは壁にポスターを貼るのが好き+あなたにとってポスターを貼ることより私の気持ちの方が大切なはず→我慢してくれるわね? といった感じ。(大筋で)論理の破綻はない。無論、前提がひっくり返れば結論は変わりますけれども、話者の想定している条件が満たされている限りは、おかしなところはありません。 id:chanm さんがもうひとつ問題視しているのは「屁理屈」ですが、これもたいてい、論理はしっかりしています。 「感情論」や「屁理屈」がなぜ反対者への説得に効果的でないのかというと、論理に誤りがあるからではなくて、前提条件への同意が得られないからです。もっと書けば、「感情論」とか「屁理屈」といった呼称は、(多くの場合)前提条件に同意でき

    nombre
    nombre 2006/06/09
  • 「フラット化」を自分に都合よく解釈する人々

    ネット世論の「拠って立つ場所」とは(佐々木俊尚さん) あられもない言い方は避けるが……(id:finalvent さん) 責任を問うた者は、いずれみずからの責任も問われる。結局のところ、だれもアウトサイドに出ることはできない。アウトサイドに出ることができるのは、発言しない人たちだけなのだ。 インターネットのフラット化の果てには、まだ広大な地平が広がっているように思える。 私も意図的に韜晦に書くことがあるので人のことはいえないが、これ、意味不明。 「誰もアウトサイドに出ることができない」はぁ? 佐々木俊尚さんの発言を引用して finalvent さんが意味不明と感想を述べた、という状況。 私の解釈は、「発言」は何らかの価値体系を背景に持つため、あらゆる「発言」は価値体系の外側から簡単に攻撃されうる。ただしその批判もまた言語化された時点で拠って立つ価値体系が限定されてしまい、包括的な批判とはな

    nombre
    nombre 2006/06/08
  • 1