コメント欄と思考に関するnonoyumeのブックマーク (2)

  • 思考停止したその先に工夫しておきたいこと - 余暇の記録

    「考えつづけること」について話題になった記事を読みながら、自分自身考えることを足踏みするとすればどのような場面があるか、ぼんやり考えてみました。 思考を停止してもいい二つのシチュエーション 思考停止したほうがいい場合 深刻な問題を目の前にしたとき 自分のアイデンティティを脅かすクリティカルな事象について深淵を覗き込もうとするとき。 入念な準備やリサーチなしにセンシティブなことがらに臨むことは時として危険ですらある。 体験したことがない、未知のことがらを語るとき。 自分の中にある知識、経験といったバックグラウンドが十分でない状態で立ち向かったとしても、必ずしも幸運な結果が得られるとは限らない。 こういうときは「なぜ語るのか、語る動機は何か」を確かめたほうがいい。 自分を正常に保つために時間の流れを止めるということ。 思考停止したくない場合 自分のポリシーであったり、恃みとするところなど、アイ

    思考停止したその先に工夫しておきたいこと - 余暇の記録
  • そらいろさんからトラックバック受信 - リツエアクベバ

    セックスは怖いもの?/空が晴れたら 読む。何度も読む。ひたすら読む。だからどう、ということではなく、読む。聞こえてくるものに耳を傾ける。 23歳で「サバイバー」と、そう自分に対して名付けなければならないのか、と思う。このブログの他のページを繰りながら、向き合わなければならない暗闇を思う。 再び、この設問に戻る。 【セックスは女性にとって、『暴力』でしかないのだろうか?】 もし、ここまで書いたことが正しいとしたら、異性愛男性の僕にとって疑問なのが、 女性は「攻め」を「暴力」として捉えることなく受け入れられる相手(恋愛しても良い相手)をどうやって選別しているのか。 そもそも女性にとって「暴力」と感じられないセックスなんてものが、存在するのか。 (女性にとってセックスとは、究極的には「暴力」でしかあり得ないのだろうか?(もしかして)/純粋なココロ 2.0) 「『暴力』でしかないセックスを経験した

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    nonoyume
    nonoyume 2007/02/06
    「耐える時間」という言葉が印象に残る。いつ終わるのか、終わったらどうなるのか。それらが全て相手に支配されていることに対する恐怖。
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