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人生と家族に関するnonsectのブックマーク (8)

  • 激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

    俺「やり残したこととかないの?」 父「ない。みんなよく育ってくれた。」 俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」 父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。 会社を定年退職後、家にこもるようになる。 死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。 同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。 強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。 アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。 一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。 当は生きたい事は分かっていた。 けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。 ある時から父を生かそうとすることを諦めた。 会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み

    激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉
  • おばあちゃん死んでくれ

    頼むからおばあちゃん死んでくれ。 死んでくれたら、おばあちゃんの住んでた部屋が空く。 そしたらそこに私が行ける。きっとおばあちゃんより広く有効に使える。 死んでくれたら良いことしかない。 おばあちゃんが居なくなること。 それはとっても良いことだ。 おばあちゃんはアル中で酔っ払って毎日リビングにやってきて暴言を吐きにくる。 殴られたことは今までないけど、言葉で沢山殴られてきたので、とっても殴り返したい。 物理的な暴力振るわれないだけ、むっちゃ運がいい家だけど。 アル中とかって、普通それはおじいちゃんとかの役目だとか思うかもしれないけど、うちではおばあちゃんだ。 おばあちゃんの言葉の暴力で毎日お母さんは泣いていて、私が幼稚園児の頃からずっとお母さんを慰めてきた。慰めてきたって、言い方は変かもしれない。 なぜならおばあちゃんの言葉は 「孫(私)はどうして勉強も何も出来ないの?それは母親のせいじゃ

    おばあちゃん死んでくれ
  • 独身のまま40代を迎えた私が、結婚について思うこと(文・小林エリコ) - りっすん by イーアイデム

    文 小林エリコ 自分に子供が生まれたら愛せるだろうか。結婚する必要ってあるんだろうかーー。そんなことをふと考えた経験はないでしょうか。 複雑な家庭環境で育ち、10代の頃には「結婚しない」と決めた小林エリコさん。40代になった今、恋人との同居を考えています。ここへ至るまで、周囲の言葉や自分の中の孤独と向き合いながら、結婚や出産の意味を模索してきました。 「家族から解放されたい」と願う小林さんがたどり着いた思いとは。結婚や出産に対する認識が変わっていく、その過程をつづっていただきました。 独身、子なし、40代 私は10代の頃、結婚に対して少しも憧れなかった。父は酒を飲み暴力を振るい、経済力のない母はそれに耐えるだけ。そんな様子を見て、「絶対に結婚するものか」と決意していた。そして、自分でバリバリ働いてお金を稼ぐことを夢に見ていた。 しかし、その目標はあっという間に崩れ落ちた。親に希望の進路を反

    独身のまま40代を迎えた私が、結婚について思うこと(文・小林エリコ) - りっすん by イーアイデム
  • 家族が亡くなった後の「手続き地獄」早わかりカレンダー | マネーポストWEB

    ある日、自分の親や夫がボケたら、亡くなったら…。「その時」はいつか必ず来るとわかっていても、つい先延ばしにする人は多い。58才主婦・香川さんが話す。 「最近、うちの父も足腰が弱ってきて、歩くのも難しくなってきました。万が一の時を考え、そろそろ家族で話し合っておこうと思いますが、『お父さんが死んだらさ』とは言い出しにくくて…」 久しぶりに親族が集まっても、大事なことは結局、誰も切り出せずじまい。香川さんのような家庭は多いのではないだろうか。 だが、先延ばしにしてよいことなど1つもない。家族の死後は通夜に葬儀にやることが山積みで、その後も延々とさまざまな手続きに追われる。 そればかりか、親と生前にしっかり話し合わなかったがために、期限内に適切に手続きできず、損したり、トラブルに発展したりすることもあるのだ。 別掲の「早わかりカレンダー」に、家族の死後、どんな手続きがどれくらいあるかをまとめた。

    家族が亡くなった後の「手続き地獄」早わかりカレンダー | マネーポストWEB
  • 人生の終わり - 闇

    「おつかれ~」という課長の声と共に、ドッと疲れが押し寄せてきた。俺は椅子の背もたれに全体重を預ける勢いで、上体を仰け反らせた。ここのところ働きづめで、自分が疲れているということすら自覚できなかったように思う。毎日毎日遅い時間に帰っては「今度休みになったら洗濯しよう…」と思ってから1ヶ月経過した布団に倒れ込む。皮脂の臭いを鼻いっぱいに吸い込むと、次に目を開けた時にはチュンチュンとスズメの声が聞こえてくる。人間、長い時間働いていると頭がおかしくなって、何連勤でも働けるようになるものだということを、こうやって仕事を始めてから知った。乾いた笑い。 それはそうと、今日は仕事納め。ようやくこの生活から、ちょっとの間解放される日だった。さて、家に帰ってから明日の予定を考えてみると、驚くほど何も無いことに気が付いた。俺の生活は仕事に支配されてしまっていたのだ。仕事以外の予定を想像できない。文字通り、『想像

    人生の終わり - 闇
  • 俺の友人が不倫されて離婚。「慰謝料で飲む酒はうまい、托卵してくれた嫁に感謝!」って泣きながら乾杯してた - 鬼嫁ちゃんねる

    自分じゃないけど、聞いてて狂ってると思った事を。 友人A男が同期で同じサークルだったB子と結婚した。 約三年後にこれも同じサークルの先輩C男に托卵されて、DNA鑑定で発覚、離婚、慰謝料請求ってなってた。 んで、つい最近そいつをなぐさめようず会をしてきたんだが・・・ 俺らが知ってた事 ・A男が家族の絆を見えるものにしよう→DNA鑑定で托卵発覚→狂いながらも素早く証拠を押さえる→離婚→嫡子否認 ・不倫期間は妊娠期間とほぼ同じ。 ・慰謝料はBとC実家から計1000マソほど 実際 ・不倫期間は妊娠期間+その前半年 ・A男、妊娠3か月前から不倫に気付き調査し、証拠を押さえる。 ・えげつなく、あいつらの人生を狂わせたかったらしい。 ・C男の俺の子供産んで、B子いいよ的なラリメールを見る ・A男の子供が欲しいアピール!(何故それをした!) ・無事托卵。 ・よき旦那アピールを義実家に。 ・当然堕胎せず無事

  • 元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ

    「あんたは、なにちゃんだったっけか?」 孫である僕の顔を覗き込む祖母。 まさか自分がこんな、ドラマのワンシーンのような状況に遭遇することになろうとは… 驚愕、混乱、不安、そして、悲しみ。 当に色々な感情を抱いた時、人はどんな表情も作れないのだと、23にして初めて知った。 年末年始、母方の実家に帰ったときのことである。 「けんちゃんだったかしら」 「・・・そうだよ」 引きつりながら笑って頷く。 なんだ、びっくりした。自分の年齢に乗っかった新手のネタか。 これは一わされた。はっはっは。 最初のやり取りはそんな感じだった。 これが当にネタだったなら、どんなに心穏やかに新年を迎えられたことだろう。 おばあちゃんがボケた。 これまでとは違い、決定的に。 名前を聞いてきたことが、冗談ではなく気の確認作業だったのだと気付くのに時間はかからなかった。 当にボケていたのだと最初に確信した時、今ま

    元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ
  • 父を気持ち悪いと思った過去。

    先日話題になっていた増田、 「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759 を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。 私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイトの男の子とケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。 小学校~中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感

    父を気持ち悪いと思った過去。
    nonsect
    nonsect 2016/11/08
    ええ話。
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