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社会と人間に関するnvsのブックマーク (5)

  • だから、もっと人殺しの顔をしろ - 関内関外日記

    このエントリーのイメージテーマソング 『マリリン・モンロー・ノー・リターン』野坂昭如 啓蒙の話ではありません 町内会長の男性(62)は「説明もないまま突然ケアホームを隣に建てられると、土地を買った若い住民の人生が台無しになる。彼らを守るため、どうしても阻止する」と主張する。 http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20101208/news20101208221.html これは人権意識の低さ、無知、因襲、啓蒙の不十分さの話ではないと思います。 これは今まさに起きはじめ、あらわになりつつある話、これからの話ではないでしょうか。 自殺の国に生きる若い君たちへ - 関内関外日記 もう、気づいたでしょうか。君らが放り込まれたこの状況というのは、沈みかけた船で救命艇を奪い合う、まさにそんなときなのです。あるいは、大飢饉におそわれたり、遭難したりして、料が底をつき

    だから、もっと人殺しの顔をしろ - 関内関外日記
    nvs
    nvs 2010/12/13
    人殺しの顔って普段の素のまんまを示してるだけに思うんだけど書き出すと面白い
  • 非実在有害図書 - 内田樹の研究室

    東京都青少年健全育成条例について基礎ゼミの発表がある。 「表現に対する法的規制」というものについて私は原理的に反対である。 ふつうは「表現の自由」という大義名分が立てられるけれど、それ以前に、私はここで言われる「有害な表現」という概念そのものがうまく理解できないからである。 まず原理的なことを確認しておきたい。 それは表現そのものに「有害性」というものはないということである。 それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。 マリアナ海溝の奥底の岩や、ゴビ砂漠の砂丘に、あるいは何光年か地球から隔たった星の洞窟の壁にどのようなエロティックな図画が描かれていようと、どれほど残酷な描写が刻まれていようと、それはいかなる有害性も発揮することができない。 「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。 全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と主

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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  • 犯罪加害者と家族 - 三日坊主日記

    被害者参加制度で初の公判 遺族、被告に直接質問 刑事裁判に被害者や遺族の参加を認める「被害者参加制度」に基づき遺族らが出廷した公判が23日、東京地裁で2件開かれた。裁判の当事者として法廷に入った遺族が被告に実刑を求め、被害者人が被告に犯行時の状況を直接問いただした。昨年12月にスタートした同制度で、遺族らの公判参加は全国初とみられる。 1件は、東京都内で昨年8月、トラックを運転中にバイクと衝突し調理師の男性(当時34)を死亡させたとして自動車運転過失致死罪に問われた運転手(66)の初公判。被害者の(34)と兄(35)の2人が被害者参加人として検察官の隣席に座った。 兄が質問に立ち、「なぜ1回しか謝罪に来なかったのか」などと、被告の事故後の対応を追及した。「事故現場で手を合わせたりしたことはありますか」と尋ねると、被告は「仕事で毎日通うので赤信号で止まれば手を合わせる」と供述。この質問の

    犯罪加害者と家族 - 三日坊主日記
    nvs
    nvs 2009/02/01
    「あなたは、殺害された子どもの親と、殺人者の親とではどちらの方がいいですか?」
  • 医学都市伝説: ルシファー効果

    スタンフォード監獄実験という心理学実験について、聞いたことがある方は数多いであろう。1971年夏、スタンフォード大学心理学教室のフィリップ・ジンバルドによって計画され、予想以上の問題点を露呈して予定日程なかばで中止された実験である。Wikipediaにその詳細がアップされているので、興味ある方は参照して頂きたい。 この実験が意図していたのは、人間の残虐性というものが個別的な性質によるものなのか、社会的な役割によって導かれるものなのかを確かめることであった。実験は、ボランティアから、性格や行動上の偏倚が少ないと判断された被験者21名を、ランダムに囚人10人と看守11人に振り分け、2週間の予定でその行動を観察した。 彼らは大学の地下室にしつらえられた「監獄」に送られ、囚人役、看守役それぞれに対し、いかにもそれらしいコスチュームや行動原則が割り振られたのだが、実験開始直後から、当初の設定を超えて

    nvs
    nvs 2007/05/11
    「ミシェル・フーコーがいうように、権力というものはこうしたミクロな「善意」をそのエネルギーにしているのであって、決して支配と抑圧に向けた悪しき野望がその源泉ではないのだ」
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