5月9日を山頂アタック日とし5日にベースキャンプを出発。キャンプ1入りしたその日の夜から再び悪天候となる。夕方から雷がゴロゴロと鳴りだしそれから絶望的な大雪。そして雪が止んだかと思いきや今度は猛烈な強風。真横の平賀カメラマンがいるテントに向かうこともままならず。大声を出しても強風の「ゴォー」という爆音に声が届かない。相変わらず眠られない夜を過ごす。6日のキャンプ2行きは前夜の大雪で積った雪が落ちてくるリスクがあるので一日延期。キャンプ1に二泊することとなった。この日、ロシア隊はキャンプ2に向かったが途中で二回雪崩を誘発し隊員4人が数十メートル流されゴーグルやストックなど失ってしまったが、またしても強運に助けられ犠牲者なし。これでロシア隊は5回目の雪崩遭遇にも関わらず一人の犠牲者も出していないのが奇跡である。恐るべし、バルチック艦隊。 キャンプ1の朝日・朝はいつも晴天なのだが・・・ キャンプ
健さん、空気が薄くて大変なのに、美しい映像と元気なお姿。ありがとうございました! 美しい山の姿に感動しました。 心臓が悪い私は絶対に行けない、美しい世界。 見せていただき、嬉しいです。本当に、感激しました。 ありがとうございました! 難所を越えたとのお言葉。 この先は画像無くていいですので、登頂にすべてのお力を注いでください。
4月25日、再び上部キャンプへ。今回の目標はキャンプ2(6400M)での宿泊、つまり荷揚げと高度順応だ。しかし、出発前夜に我が隊のシェルパから「このまま山頂アタックしないか」と提案。マナスル登山が開始して、未だ2週間たらず。「それはまだ早い。体が高所にまだ慣れていない。このまま突っ込むにはリスクが多い。もう少し高所順応したほうがいい」と意見させて頂いたが、シェルパ頭のダワ・タシが「キャンプ1とキャンプ2の間を登り降りするのは雪崩のリスクがある。キャンプ2で二泊して低酸素に体を順応させてからそのままキャンプ3(7500M)に向かって翌日に頂上にアタックしたほうがいい」と。言うのは簡単だけれど4月中に8000Mの世界はまだまだ寒い。強風が吹き荒れれば手足の指などすぐに凍傷にやられる。下手をすれば指切断となる。しかし、我が隊は無酸素ではなく有酸素隊だ。酸素ボンベの助けがある。いささか乱暴かもしれ
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