伝わらなかった火砕流の危険 不十分だったリスク・コミュニケーション 43人の犠牲者 1991年6月3日16時すぎ、雲仙岳から発生した火砕流に43人が飲み込まれて死亡しました。犠牲になったのは、報道記者とカメラマン、彼らを乗せていたタクシー運転手、それから地域の消防団員などでした。全身にやけどを負ってよろめきながら歩いて逃げてくる人たちの映像が、夕方のテレビニュースで流れました。それは、直視するに耐えない悲惨な映像でした。 私は、この惨事前の一週間、島原に滞在していました。溶岩ドームから繰り返し発生して日ごとに到達距離を伸ばしていた火砕流のリスクをよくわかっていました。あの火砕流に飲み込まれれば死ぬことを知っていました。 火砕流の映像をとるためと火山監視のために大勢の人が入り込んでいた北上木場の「定点」に火砕流が達するのは、時間の問題でした。夜間は無人だろうが、昼間は誰かが「定点」にいるだろ