死にたくないな🥺
1人もいないだろと思ってんだけど 不老は需要あるだろうけど不死はなくね? 死ねないって最悪だろ 命は限りあるから美しいんだ!とかじゃなくてさ さすがにずっと人生が続くのって頭おかしくなるだろ (追記) いや、俺もあと200年くらい生きてドラえもん出てくるの待ちたいとかあるけどさ 「不」死だよ!?死なないってか死ねないんだよ!? 地球が爆発してもてかもはや宇宙がはちゃめちゃになっても死ねないんだよ??ありえん まあ何もかも無くなったあと100年くらい経ったあたりで精神崩壊して死んだも同然になりそうだから実質不死ではないのかも 5億年ボタン思い出した
anond:20200726170112 これ書いてから anond:20200725210204 これを読んだ。キツすぎる。 自分が拠り所にしてた「私は有能だから私は凄い」がさらに良い形になっていたのに、最近はなぜか希死念慮おばけに取り憑かれてたんだけど、なんとなく理由が見えた。純化のしすぎだ。 「できないじゃなくてやらない、やってない」「だから私は何でも出来る有能」で、切り捨てちゃいけないところまでいつの間にか切っていたかもしれない。私が私であるために~なんて自分探しの旅に出たがるようなゆるふわワード言いたくないけど、そんな感じの、WindowsでいうところのCortanaを切り捨てていたのかもしれない。 どう考えても、私が有能じゃなかったら私は私がもっと嫌いだっただろうし、希死念慮も今どころじゃなかっただろう。根拠のない自己肯定なんてしたことがない。出来ないことリストに「根拠のない自
簡単にいうと「今がこれからの人生で一番若いんだから、今から何か行動するとよくなる可能性ってまだまだあるよ」的な感じです。 で、いろいろな反応を見させていただいたんですが、出てきた話として、「人生詰んだと思っちゃう人は、新しいことをするエネルギーが足りていないため、何も始められないのでは?」という指摘です。 これはその通りなんです。 「決断疲れ」というのがあり、何かを決断するには膨大なエネルギーが必要なため、1日にできる量は限界があるみたいな話があるのですが、新しいことをはじめるというのにも相当なエネルギーが必要です。「人生詰んだ」と思ってしまう人が、たくさんエネルギーがあるかというと・・・ないですよねえ。 僕の話をします。 僕は小さいころから運動神経もなく、手先も不器用で、勉強もできなくて、歌や楽器も下手で、、と言ったようなそんな感じで他の人と比べてもスペックはだいぶ低いというような印象が
僕は彼女の不幸な顔しか知らない 僕は彼女の不幸な顔しか知らない。 「遅れてごめん」 彼女は息を弾ませてそう言いつつ、カップを片手に向かいの席に座った。 「そこまで待ってないよ」 僕の言葉はカフェの喧騒に吸い込まれた。もう何度となく交わされた会話だ。彼女が僕に会いたいと言ってくる時は、彼女の人生が上手くいっていない時だ。 (Photo:Макс Радомский / Max Radomskii) 彼氏ができたり、他に夢中な趣味があったり、仕事に没頭している時、同期との飲み歩きが楽しい時、彼女は僕に声をかけない。 ただSNS上で見知った関係だけがそこにある。 彼氏と別れたり、仕事がうまくいかなかったり、そういった彼女自身が煮詰まったであろう時に僕に声がかかる。 都合が良いといえば都合が良い相手なのだろう。だから僕は彼女が上手くいっていない時の顔しか見たことがない。 彼女が結婚し、もう何年も声
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