「私は、男は泣かないということを承知しているが、私は泣いた。同室のものから顔をそむけ、涙と嗚咽を抑えるのに精一杯だった。私を深く感動させる写真、私の人生を変えてしまう写真は数少ない。森永純の写真はその二つを併せ持っていた。」 ユージン・スミス 水俣の問題について、深く考えてきた表現者は日本にもたくさんいる。そんな人々にとって、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を超えるものを見出すことは難しく、少しでもそこに近づこうと努力している。 日本人の映画関係者のあいだで、水俣の映画化の話が持ち上がれば、必ず、『苦海浄土』を読むことになるだろう。そして、苦海浄土に匹敵する映像世界を作り上げることの困難を知る。 日本人の表現者が水俣の問題と向き合って映画を作ろうとすると、相当な覚悟がいるし、膨大な時間が必要になる。近代日本のあらゆる問題が、そこに凝縮しているからだ。 単純な勧善懲悪の物語に仕立て上げることなど