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大瀧詠一と内田樹に関するorzieのブックマーク (3)

  • 大瀧詠一師匠来臨 - 内田樹の研究室

    先週今週はたいへんタイトなスケジュールである。 金曜日、ゼミのあと13時から19時半まで連続6時間半の会議。そのあとミシマ社の三島くんとご飯。土曜日、東京日帰り。親鸞宗教センターで講演、そのあと茂木健一郎さんと「アスキー」対談。日曜日、講演の打ち合わせのあと合気道の審査。月曜日、授業だけだと思って帰ったら、夜会議(忘れてました)。火曜日、ゼミ二つ、そのあいまに「新潮45」のインタビュー、終わってから野木さん足立さんとご飯。水曜日、東京日帰り。大瀧詠一さんを囲むラジオ収録。木曜日は授業と合気道だけで何もない日(ほっ)。金曜日、大垣日帰り。IAMASで小林昌廣さんと対談。土曜日、下川先生の稽古と合気道の稽古のあと東京へ移動。日曜日、午前中に全国学生相談研修会で講演。そのあと「週刊現代」の取材。月曜日からゼミ面接が始まる。1週間で 80 人くらいの学生と面談。そのあいだに締め切りが4つ。 どうし

  • 大瀧詠一師匠を悼む - 内田樹の研究室

    朝日新聞から依頼があって、大瀧詠一さんの追悼文を書いた。 字数の関係でショートヴァージョンが紙面には掲載されたので、ブログにはオリジナルを掲げておく。 音楽映画について、信じられないほど広く深い知識を持っているだけでなく、ふつうの人は気づかないものごとの関係を見出す力において卓越した方でした。2歳違いですが、久しく「師匠」と呼んでいました。 ツイッターで大瀧さんが手がけた曲の元ネタについてつぶやいたら、数分のうちに「この二つを結びつけたのは地球上で内田さんが最初の人です」と返信をいただきました。うれしかったですね。大瀧さんの元ネタをみつけるのは、ナイアガラーにとって最高の勲章だからです。 一度聴いた曲はすべて記憶しているのかと思うほどの桁外れの記憶力でした。無人島に1枚だけレコードを持って行くなら何にするかという雑誌のアンケートで、大瀧さんは『レコードリサーチ』というカタログの1962~

  • 大瀧詠一の系譜学 - 内田樹の研究室

    2013年12月31日、大瀧詠一さんが亡くなられた。 むかしばなしを一節語って供養に代えたい。 1976年の3月に野沢温泉スキー場で『楽しい夜更かし』を聴いたのが最初の大瀧音楽経験だった。スキー場から戻ってすぐにレコード店に行って『Niagara Moon』を買い、以後37年忠実なナイアガラ-として過ごした。 大瀧さんとはじめてお会いしたのは2005年8月21日。そのときの感動については当時の日記に詳しいので再録。 「行く夏や明日も仕事はナイアガラ 長く生きているといろいろなことがある。 まさか大瀧詠一師匠にお会いできる機会が訪れようとは。 お茶の水山の上ホテルの玄関で、キャデラックで福生にお帰りになる大瀧さんを石川くんとお見送りして、ただいまホテルの部屋に戻ってきたところである。 午後3時から始まった対談は二次会のホテルのレストランから「営業時間終わりです」と言われて追い出されるまでなん

    orzie
    orzie 2013/12/31
    偉大な先達に負けないくらい柔軟な耳を持ちたいものだと思いました。
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