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大瀧詠一と山下達郎に関するorzieのブックマーク (6)

  • 1988年 『ベリッシマ』...その1: pizzicato file

    1988年9月にピチカートの2枚目のアルバム 『ベリッシマ』がリリースされました。 この年の4月に佐々木麻美子さんと鴨宮諒さんが脱退しました。 そしてオリジナル・ラヴの田島貴男さんがメンバーになり 男3人の新生ピチカートに生まれ変わりました。 その3人による初めてのアルバムが『ベリッシマ』です。 このメンバー交代劇については「アンティーク96」に 小西さんがライナーで触れています。 いつ、メンバー交代を知ったのかはもう記憶にありませんが、 「ベリッシマ」リリース前には知っていたので何か複雑な気持ちで アルバム発売を待っていました。なにしろボーカルが女の人から 男の人に変わるというのが驚きでした。 そして、「カップルズ」にすっかりのめり込んでいたので もうあの世界は聞けないのかと思い残念でした。 そして9月...「ベリッシマ」を聞いて...、 一発で田島君の声にやら

    orzie
    orzie 2014/02/11
    「仏作って魂入れず」は誰が誰を酷評した際に書いたものであったのか。
  • 大瀧詠一インタビュー(1987年)

  • 山下達郎、盟友・大瀧詠一さん偲ぶ「40年間心より感謝」

    シンガー・ソングライターの山下達郎(60)が5日、パーソナリティを務めるTOKYO-FM系『サンデーソングブック』(毎週日曜 後2:00~2:55)で「今週と来週の放送は大瀧さん急死前に収録されたもの」とコメント。昨年12月30日に解離性動脈瘤のため急死したミュージシャン大瀧詠一さん(享年65)を偲び、追悼特集を後日改めて行うと明かした。

    山下達郎、盟友・大瀧詠一さん偲ぶ「40年間心より感謝」
  • 佐藤博/オリエント<タワーレコード限定>

    orzie
    orzie 2013/04/09
    《細野晴臣(b)、鈴木茂(g)、青山純(ds)、上原裕(ds)、林立夫(ds)、伊藤校規(b)、鳥山雄司(g)、ペッカー(perc)、上田正樹(vo)ら最強ミュージシャン参加》
  • 山下達郎のサンデー・ソングブック - Wikipedia

    『山下達郎のサンデー・ソングブック』(やましたたつろうのサンデー・ソングブック)は、TOKYO FMの制作により、JFN系列38局フルネット[注 3]で放送されているミュージシャン・山下達郎における唯一のレギュラー出演によるラジオ番組である。略称は「サンソン」。 概要[編集] 「山下達郎の個人コレクションを使って発信される日最高のオールディーズプログラム」。「"エバーグリーンなオールディーズソングから、超カルトなレア音源まで、" 最高の選曲[注 4]と、最高の音質でお届けする[5]」ことをモットーに放送されている55分番組。 自身がミュージシャンである関係で自身や竹内まりや、あるいはミュージシャン仲間の曲がオンエアされることもあるが、基的には山下の音楽ルーツである1950・1960年代のオールディーズを中心に、リスナーからのリクエストとお便りで構成されている[注 5]。放送時の音質にこ

  • 佐藤博 (ミュージシャン) - Wikipedia

    佐藤 博(さとう ひろし、1947年6月3日 - 2012年10月26日[1])は、日のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日のトップ・キーボーディストとして知られる[2]。 生涯[編集] 誕生~音楽との出会い[編集] 1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた[3]。 その際、たまたまギターに触る機会を得、

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