番外編6 一夜明けたら、行き倒れ 緊張の一日から一夜明けて、 今日は一日フリーでした。 全員で車に乗り、向かったのはビーチです。 ところが、ビーチは寒かった。 たしかに空は抜けるように晴れ渡り、... 続きを読む ≫
前口上 父は反対だった 父・宮崎駿は、私が『ゲド戦記』を監督することに反対でした。 唐突に聞こえるかもしれません。しかし、まず、これを明らかにしておきたいと思います。 そして正直に言えば、こうしてネット上に日誌を開設し、私が皆様の前に出ることは、決して私の望むところではありませんでした。もし、私が自らの声で語りたいことがあるとすれば、それは、 「できあがった作品を観てほしい」 これだけです。 監督としての私の望みは「まっさらな気持ち、雑念のない状態で『ゲド戦記』を見てほしい」 これだけなのです。 しかし、『ゲド戦記』の宣伝が開始されれば、好むと好まざるとに関わらず、それを監督する私に「宮崎駿の息子」という形容詞が冠されることは容易に想像がつきます。これに対して鈴木敏夫プロデューサーの出した結論は、「作品そのもので応える」ことはもちろんだが、「作品そのもので勝負するためにも、『宮崎駿の息子
「6年勤めたNTTを退職しました」という記事が、注目を浴びているようですが、この筆者が NTT を辞めた理由が、私が32年前(1986年)に NTT を辞めた理由とあまり変わらないのに、少々驚きました。 私が NTT を辞めた件に関しては、これまで色々なところで話しては来たのですが、まとまって文章にしたことがなかったので、これを機会に書くことにしました。普段ならメルマガ(週刊 Life is beautiful)の読者限定で書くところですが、今回だけは、出来るだけ多くの人に読んで欲しいので、ブログ記事として公開します。 当時、NTTは電電公社から民営化したばかりで、1985年に入社した私は、NTTとしては第1期生でした。大学は、早稲田の理工学部電子通信学科で、修士課程まで行きました(当時は、情報学科はまだ独立しておらず、電子通信学科がソフトウェアとハードウェアの両方をカバーしていました)。
偉愚庵亭憮録:ウヨ曲折 古典的な右傾化批判は意味をもたないというのはその通りだけど、小田嶋氏の「反抗の象徴としての右傾化」論もちょっとはずしているような気がする。「現在の「ウヨ」と「サヨ」を分けているのは(中略)「偽善」というキーワードだ」というのはいいのだが、「ウヨ」の人たちは「偽善」という権威に反抗しようとしているわけではなく、むしろ、自分を傷つけることなくメタで安全な位置にたつために「偽善」という恰好の攻撃対象を利用しているんじゃないかと思う。 いずれにせよ「偽善」が広範囲で嫌悪されているというのは事実だと思うけど、では「偽善」でない善にどんなものがあるかというと、宗教的(「愛」とよばれるものも含みます)な自己犠牲くらいしか見あたらない。実際、「ウヨ」の人たちの一部はそういうものをありがたがっている。 もともと今「偽善」とよばれているものは、そういう窮屈な自己犠牲のおしつけから身を守
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