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考察と学問に関するoumoriのブックマーク (2)

  • 「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習

    今年のうちの卒論生に感じていることがぴったりと表現されている。 とにかく「答えだけを知りたがる」とか「反射的に回答する」といったことが、面倒なことを考え無くなる、といったところがあると思います。 高校生を対象にロボット製作の授業をやっていますが、目的はチームワークの経験にウェイトを置いています。 その中で、議論を戦わせる、相手の考えを読み取るといった面を重視しているのですが、これに何ヶ月もかかります。 なんというか「自然な疑問」を持たないように訓練されている、とでも言うべき状態なのです。 常に「(生徒が知らない)正解を大人が知っている」という受け身の姿勢に徹しているから、基的によい子になっている。 結局のところ、分断された知識の暗記のような事にしかならないから「どうすれば良いのか」とか「なぜこんな問題が起きるのか」「解決手段が無いときに代替手段を考える」ということ自体にたどり着きません。

    「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習
  • 阪大社会学会雑感: Runaway World とどう向き合うか? | Theoretical Sociology

    昨日は阪大社会学会が開催されていたので、参加してきた。西山哲郎さんと厚東洋輔先生の発表で、かなりの盛況だった。ユメンヌホールがかなり埋まっていたので、70人ぐらいは来ていたのでは? 昨年も井上俊先生の効果で多くの人が参加していたが、今年も同じぐらいたくさん集まっていた。今年は厚東先生の効果なのだろうか。西山さんもおもしろそうなテーマだし人徳があるので、結構集客力があると思うが、それだけではあれほど集まるまい。あなどりがたし、厚東洋輔。 私は隅のほうで内職をしながら聞いていたので、発表の内容については語る資格がない。印象に残ったのは、厚東先生が言っていた「社会学が第二次世界大戦後、人気を博したのは、社会学が、直面する難題と真正面から取り組んだから」という話である。つまり、社会学の再生のためには、現代の世界が直面する難題と真正面から取り組む必要がある、ということである。少なくとも第2次世界大戦

    阪大社会学会雑感: Runaway World とどう向き合うか? | Theoretical Sociology
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