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誰も知らないに関するpadma37のブックマーク (2)

  • 東京猫の散歩と昼寝 - 言葉でコミュニケーションできるとはかぎらない

    そういえば、『ククーシュカ』というロシア映画をDVDでこのまえ見た。asin:B000HXE3I0 第二次大戦中にソ連がフィンランド侵攻した頃の話。そのフィンランド辺境で、ラップ人の若い未亡人が住む田舎屋に、いろいろあって前線から逃れてきたフィンランド兵そしてソ連兵がそれぞれ同時にかくまってもらう形になる。おもしろいのは、3人とも別の言語なので会話がまったく通じないこと。兵隊はもちろん敵同士であり、おまけにソ連兵はある理由からフィンランド兵をナチスドイツの一員だと誤解している。ラップ人女性をめぐる三角関係と嫉妬もわきあがる。彼女の死生観は現代人とちょっとずれたところもあったりする。 『山の焚火』というスイス映画をむかし見たが、たしか聾唖の弟に姉ひとりがつきそう場面がずっと続くので、台詞がほとんどなかった。「静謐」とはこの作品にこそ当てはめるべき言葉というかんじ。 それから、新藤兼人監督の『

    東京猫の散歩と昼寝 - 言葉でコミュニケーションできるとはかぎらない
    padma37
    padma37 2007/03/18
    あるあるあるある~。映画はどれも面白そう、観てみたい。
  • ネットワーカーの死 - umeten's blog

    それはどのようにして「感知」されるものなのだろうか。 よく聞く(?)ものとしては、当事者の死後に家族が遺品を整理している過程でその存在に気づくというもの。 つまり、遺族が当事者の死をネットに知らせるというものである。 その類例として、友人・知人がそれを知って、自分のサイトなりブログなりで言及するというものもある。 ただ、自分がネット上で活動していることを、家族や友人・知人に教えず=知らせず、ネット上ではネット上だけの人間関係を築いているタイプの当事者の場合は、はたしていかようにしてそれが「感知」されることになるのだろうか。 ネットを通じて知り合った人間に実際に会っていたとしても、よほど緊密に連絡を取るようなことをしていない限り、その死を「感知」することなどできないのではないか。いや、当然できないだろう。 ならば、一定期間の更新の停止といった「状況証拠」から推測するということしかできないわけ

    ネットワーカーの死 - umeten's blog
    padma37
    padma37 2006/12/12
    そんな風に思うこともある。知りたかったり知られたかったり。どうでもいいはずなのに。
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