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webとcommunicationに関するpadma37のブックマーク (7)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらずべられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …

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  • ネットの人と会うことについて - おれはおまえのパパじゃない

    とりとめのないことを書きます。 ブログやら、ちょっと前だったら日記? テキストサイト? みたいなものをずーっと読んでると、それを書いてる人自身に興味がわいてくるってことがありますね。自分の好みの文章を書いてたり、度を超して面白いことを書き続けてたりする人だと、だんだん「いったいこの人はどんな人なのだろう」と思い始める。そしてそれが高じて、「なんかちょっと、一回会ってみたい。飲んでみたい」みたいなね。 ないんです。ない。基的に会いたいとかビタイチ思ったことない。ずーっと書き続けてほしい、ずーっと面白いものを読ませてほしい、とは思うけど、会いたいと思わない。会っても「あ、ども……」くらいしか言うことないし……。いやそんなことないわ。「○○さんの文章、超好きなんですよ!」くらいは言うけど、別に会ってまで言うこと違うし。ネット上で言えるし。 文章が好きであればあるほど、なんか逆に会いたくないみた

    ネットの人と会うことについて - おれはおまえのパパじゃない
  • 坂のある非風景 twitterを去りました

    それは砂場で、友だちがひとりふたりと去ってゆく夕方のある時間になった砂場で、それじゃあと、私も手から砂を払い、服から砂を払ったのだ。自分の場所があって、そこを思い出す一日の終わりがあって、そういう「一日の終り」が、人生には何度か訪れる。 私の場所ではなく、だれの場所でもない場所には<関係>だけがあって、そこでは、やってこなかった友だちとも結ばれていて、ここに来ていっしょに遊びたいと思って窓から遠くこちらを見ている友だちとも、砂場に来るたびに結ばれていた。 去ることが友だちを作り、見送ることが友だちを作る。つまり、別れることだけが友愛を証明するのだが、そのとき友愛の名によって何かを与えあう可能性はとざされてしまっている。今度は私が窓の向こうから、昨日までここで遊んでいた私自身を、昨日は遠すぎる、待てば待つほど遠ざかる、そういう遠さから、見る番なのだ。 @shasei氏、@gumin氏と立て続

    padma37
    padma37 2008/09/04
    『今度は私が窓の向こうから、昨日までここで遊んでいた私自身を、昨日は遠すぎる、待てば待つほど遠ざかる、そういう遠さから、見る番なのだ。』
  • 坂のある非風景 私だけのウソを求めて

    50パーセントの確信しかない場合でも、書いてしまうと100パーセントの確信が語られてしまうことがあるし、わざとそう書く場合もある。ウソを語っているのか、いや、誇張しているのである。そして読み手の中には、ちゃんと誇張を差し引いて読むことができる人もいる。そういう読者はかなり貴重な読者だといえる。 ここで問題になっているのは、「理解」ではなく「納得」だと思う。言葉に対する姿勢ではなく、良好な人間関係とは何か、ということだ。世界は「理解できるが納得できない」もので満ち溢れている。そのギャップを埋めようとして、相手に問う「何故」があり、「理解できない(正確には、納得できない)」という声があがる。しかしたとえそのギャップが埋められて、何が得られるというのだろう。いやそんな身も蓋もないことが言いたいわけじゃない。理解と納得の間にあるギャップが、人を人に接近させ、遠ざける、そういうことだろう。 しょせん

  • 坂のある非風景 正月は寒かった

    寒い。なぜ寒いかという問いに、冬だから、暖房器具がないから、ひとりだから、といろいろな答えを与えることができる。答えが違うのは問いが違うからで、それは「寒い」という言葉がそれぞれ違う問いかけ先を持つことを明かしている。 冬という客観的な気温の問題、暖房器具がない、懐が寒いといった経済的な問題、孤独という心理的な問題。ここから得られる単純すぎる結論は、方法論としての自然科学、経済学、心理学の重要性だ。学問は平等な並列関係にはない。あくまで階級化された分業だった。 そしてあいさつにおける「寒いね」という問いかけは、冬だからといった、もっとも貧しい答えをすくい取ることしかできない。今年もまた反コミュニケーションによって表現の地位を守るようなたたかいが待っているのだろう。 年末には一年の総括記事が目立った。 自分がしたいことを誰にも邪魔されずにひとりでやっていて何が面白いのであろう。 人生は邪魔が

  • カーブしか投げられなかった - 忘れ去られるべき日々について

    この間書いたものについて、最近のぼくらしい詩だ。ぼくの書いたものを知っている人にとっては些か傷気味の文章。普通、書いている人は自分が何を書いているのかよく分かっていないことが多い。ぼくもその例外ではなく、最近になってようやく自分の詩のもつ形態みたいなものが分かるようになってきた。この間書いた詩はぼくが確認できるだけで3つのストーリーが同時進行している。見た目は非常に簡単な言葉が並んでいるのに分かりくいというパラドクスはそれに起因している。ある述語に対して突然主語が変わっていたり、ある修飾語句が明示的にあるいは非明示的に予想もつかない語句を修飾している。バラバラになったジグゾーパズルはすでにぼくでさえ組み立て直すのも困難だ。しかも引用している音楽を聴かないと主題すら確認できないいやらしさだ。そんな戯れ言をduke377という人がブックマークしてくれた*1。無言のブックマークだった。人はよ

    padma37
    padma37 2007/11/17
    「見送る」というのはナシなのかしら。
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