1.私と「発想法」 私と発想法の出会いは、今にして思えば実にタイミングが良かったとしか言いようがない。大学の経済学部にいた私は、国際経済論のゼミに所属していたので、卒業までに、いわゆる「卒論」(卒業論文)を大学に提出しなければならなかった。 卒論ともなれば、量的にも200字づめ原稿用紙で150枚以上は書かないと格好がつかない。もちろん、そんな長大なものは、書いたこともなければ、指導してくれる人も本もなかった。 4年の夏休みから、おおよそのテーマを決め重要な専門書・白書などの政府刊行物・専門論文を読みながら重要なところには線を引いたり、キーワードを丸で囲ったり、思いついたことを本の余白に書き入れたりしていったが、この作業を論文にどう仕上げるかの見通しは全く立っていなかった。 ところが、この年の秋になって京都大学の梅棹忠夫教授の「知的生産の技術」というのが、マスコミでも話題になっていて、