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社会と戦争に関するpediatricsのブックマーク (2)

  • 2009-05-31 - 弯曲していく日常

    北朝鮮が二度目の核実験を行った、というのは大きなニュースだ。日北朝鮮を非難するためには、アメリカの核の傘から抜けるかアメリカの核を大幅に減少させなければならない。どうすればよい!? 別に騒ぐこともない。 「北朝鮮が崖っぷちで立ち止まるまで冷やかに眺めているのが最善と言える。」とはkazhikさんの言。崖っぷちで立ち止まらずに日にミサイルを発射し2、3人日人が死んでも騒ぐ必要はない、と私は思う。もちろん抗議とかはしても良いが。 kazhikさんは、言いたいことは前回(2006年)と同じ、と書いておられる。私も同意である。それにすべての専門家、評論家の言っていることと違うが、現実性がないわけではない。 体制を変えるといっても、その手段は軍事攻撃だけではない。ソ連や東欧の共産党政権が戦争なしで崩壊したのはそれほど遠い昔ではない。とりわけ東ドイツの例は朝鮮半島にとって貴重な先例となる。平和

    2009-05-31 - 弯曲していく日常
    pediatrics
    pediatrics 2009/06/16
    国境を取り払い国家の枠を捨てる。地球主義も理性的には合意出来るが、今まで培ってきた言語や文化に愛着がある者としてはそれが破壊されるのは心情的に悲しい。地球規模の欧米化の中それでは後ろ向きすぎるのか。
  • 村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈 - ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog

    村上春樹が「エルサレム賞」授賞式で行ったスピーチをめぐって、いろいろと議論があるようだ。必要最小限のことだけ、明記しておきたい。 スピーチを受け止める側の多くが、単に村上の政治的な姿勢を問うていたはずであるにもかかわらず、たとえば「壁と卵」といういかにも村上らしい表現に引きずられて、その来の問題提起をぼやかせてしまっていることに、かなりの違和感をわたしは感じている。ちょっとはっきりいうと、今回の村上のスピーチに賞賛を送るのは、もともとのヒューマニズムのそこの浅さが、露呈してしまっているのではないか。 確かに村上は、イスラエルのガザに対する軍事攻撃に批判的なコメントを寄せた。それに意想外の印象を受けて、「村上春樹もいいところがある」と考えるのもいいと思う。イスラエルを批判する意見が、世界に多くあることをそれなりに示す機会をつくったのだから。そこで話をやめるならいい。しかし、村上のスピーチに

    村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈 - ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog
    pediatrics
    pediatrics 2009/06/16
    こういう解釈も出来るのですね。ひっかかりも多いですが心情的には理解出来ます。
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