昭和20年8月15日、昭和天皇のラジオ放送によって、日本の敗戦が国民に知らされた。「耐えががたきに耐え、忍びがたきを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す。」この頃天皇が愁いていたのは、占領軍の方針だった。天皇は、自分の臣下だったものが、戦争犯罪人として裁かれることを心配していた。木戸内大臣に天皇はこう漏らした。「自分が一人引き受けて、退位でもして収めるわけにはいかないだろうか。」 8月28日、日本の運命を握る一人の男が、フィリピンの飛行場を飛び立とうとしていた。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーである。太平洋戦争中は、極東軍司令官として日本攻撃の責任者。一度は日本に奪われたフィリピンを奪回した。そして、日本の敗戦と共に、日本に対する占領政策を遂行する権限を手にすることになった。 8月30日、マッカーサーを乗せた飛行機が厚木飛行場に着陸した。マッカーサーは丸腰だった。悠然とタラッ