ミネルヴァ書房 2008年6月 「六〇年代末の大学紛争は、大学における学問のあり方をめぐって行われた」と羽入氏はいう。また、養老孟司氏はいう。「全共闘は大学解体を叫んでました。学問とはなんだ、研究はなんのためだ。紛争が収まってから、私のほうは、それに対する返事をまだ考えてたわけです。」「東大紛争が起こったとき、私は助手になって二年目でした。学位論文が済んで、次の論文を書いて、それが英国の雑誌に採用されたところでした。」 それが紛争による研究室封鎖で研究室を追い出された。研究活動を物理的に阻害されたわけである。全共闘の問いに応えて自分から研究をやめたのではなく、意志に反して無理矢理研究を止めさせられた。「でも私自身の研究は本気でしたよ。だから研究室を追い出されたとき、本気で腹を立てました。はたで見ていた人が「顔色が真っ青だったよ」と、あとでいってたくらいです。・・あの当時私が本気だったからこ
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