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考察とマンガに関するpink_pumpkinのブックマーク (8)

  • 四コマ漫画の個性について、色々と考えてみる。 - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス

    四コマ漫画って凄いな、と思うのです。 漫画の中でも、割と原始的なモノにも関わらず、これだけ多種多様な漫画雑誌や単行が溢れ、様々な価値観の下、漫画の表現の幅が広がっている時代にも関わらず、未だに漫画の一ジャンルとして、確かな地位を築いているのが凄いし、 更に、90年代の「あずまんが大王」の登場以降、「萌え四コマ」という形で、新たに独自の進化を遂げていったというのも、凄い! あの四コマという空間には、「限られた空間の中に、多種の表現を取り入れ、有限の中に無限を作り出す」という、茶室であるとか、日庭園であるとか、その辺りの日人的な感性を感じる…といったら、大袈裟ですが(たぶん、源流は欧米の新聞漫画だろうし)、四つのコマという、漫画としては小さな表現のフィールドの中に、いわゆる「起・承・転・結」という漫画の最も大事な要素が詰まっているというのも、なんとも深い話です。 ところで、最近漫画好きの

    四コマ漫画の個性について、色々と考えてみる。 - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス
  • マンガとアニメーションの間に(3-1): たけくまメモ

    ※10月29日と30日に京都精華大学で「マンガとアニメーションの間に」と題した講義レジュメである。29日に手塚治虫を、30日に宮崎駿を講義するが、まずは手塚治虫のレジュメをアップする。 ■京都精華大学連続講義レジュメ 第三回「手塚治虫の引き裂かれた夢」(1) 講師 竹熊健太郎 【A】手塚の「映画的手法」について ●初期手塚マンガを「映画のようなマンガだ」とする発言は、藤子不二雄Aをはじめ、『新宝島』(1947)などの初期作品をリアルタイムで読んだ世代によってしばしば語られている。 →初期手塚作品がどのように「映画的」なのかについては、諸説があり、多くの論者によってさまざまな角度から語られている。 →手塚作品が戦後の読者から「映画のようなマンガ」として受け止められたこと自体はおそらく間違いないが、フィルムによって構成される映画と紙の上に描かれるマンガとの間には、時間の扱い方において決定的な違

  • 冨樫義博という漫画家について : 徒然話

    2005年03月30日18:38 冨樫義博という漫画家について カテゴリマンガ/アニメ論私論 takotubo Comment(172) 富樫という漫画家を天才だと言っている話を聞いてそれはちょっと違うんじゃないかなと自分の意見を文章にして見ようかなと思い、前から興味のあったブログを作ってみようかなと。 持論だけど富樫は天才ではない。 彼の新人賞の漫画『ジュラのミヅキ』はいわゆるジャンプの新人に良くありがちなバトル漫画でこれといってどうというものではないし、初連載の漫画は『てんで性悪キューピッド 』という今で言う『苺100%』みたいなどうという事のない萌え漫画です(当時幼心に(;´Д`)ハァハァしていましたが/W)。 その後ブレイクした幽々白書も5巻までは『死神くん』にそっくりですし(いや『死神くん』に似ていて好きでしたが)、その後の展開も『ドラゴンボール』系のバトル漫画でしょう(ドラゴン

    冨樫義博という漫画家について : 徒然話
  • 『バクマン。』は『DEATH NOTE』へのアンサーコミックかもしれない - 三軒茶屋 別館

    大場つぐみ・小畑健の『DEATH NOTE』コンビによる漫画家を目指す少年たちのマンガ『バクマン。』。ネット界隈でも評判が良いようです。 まだ連載第2回の段階ですので考察というほどのものは出来ませんが、思ったことをつらつらと。 フジモリの認識では、『DEATH NOTE』は、「セカイ系」に対するアンチテーゼとして描かれていました。例えば宇野常寛『ゼロ年代の創造力』では『DEATH NOTE』をアニメ『コードギアス』と同じ流れに配し、それらを「セカイ系(=「引きこもり」に繋がる自己に閉鎖した世界)」に対し「決断主義(=引きこもってられない。なんでもいいからやらなきゃ、の世界)」と称しました。*1 実際、『DEATH NOTE』は「世界を変える強大な力を持ちながらも個人との関係に終始する」セカイ系に対し、「世界を変えるほどではないが特殊な力を入手した主人公が世界を変えていく」物語という意味で「

    『バクマン。』は『DEATH NOTE』へのアンサーコミックかもしれない - 三軒茶屋 別館
  • “パクリ”と紙一重の“パロディ”だった『幽遊白書』 やまなしなひび-Diary SIDE-

    「え?今更?」という話題かも知れませんが……最近とあるサイトで『ヨシりんでポン』についての記事を読んだので、今日は唐突に冨樫義博先生についての話題です。 『ヨシりんでポン』とは『幽遊白書』の連載終了後に冨樫先生(とその友人)が出した同人誌で、『幽遊白書』が人気絶頂時に突然終わってしまった理由や連載時の辛いエピソードなんかが語られているそうです。僕自身は実物を見たことがないのですが、ネット上では読んだ人の感想が溢れているため、内容自体は結構有名なんじゃないかと思います。 (どうでも良いけど、情報を集めようと検索したら大昔の自分の記事が出てきて、文章の酷さに逃げ出したくなりました。何なんだ、あのを吐き出しまくっている文章は……!) というように、内容はほとんど知っているつもりだったんですけど…… 最近読んだその記事に「え?そうなの?」と色々なことを考えさせられた情報があったので、要約してご紹

  • Hatena ID

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  • 巨大眼と「かわいい」 - 漫棚通信ブログ版

    マンガの特徴のひとつに「大きな眼」がある、ということは、おそらく世界じゅうで認識されているでしょう。海外の日マンガスタイルのマンガ(ややこしい表現ですみません、要はアメリカンマンガなど)でもけっこう眼が大きく描かれますが、日マンガはそれよりさらに大きい。 「モーニングツー」に連載中のフェリーぺ・スミスなども、日進出にあたり、女性の眼をさらに大きく描くようになってます。また「ちゃお」「りぼん」「なかよし」などの低学年向け少女誌では顔の三分の一をしめるほどの、史上最大の巨大眼が流行しています。 かつて劇画系のマンガが存在していたときには、大きな眼は少女マンガの特徴のように語られていました。しかしそのころでも、手塚系のマンガは巨大眼を持っていましたし、今はもう、日マンガの全ジャンルで、眼は大きくてあたりまえになっちゃいましたねえ。 ***** 石子順造『戦後マンガ史ノート』(1975

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  • 手塚治虫、藤子・F・不二雄クラスのマンガ家は2度と現れない:アルファルファモザイク

    編集元:ニュース速報板より「手塚治虫、藤子・F・不二雄クラスのマンガ家は2度と現れない」 1 ケン=サクシル(佐賀県) :2008/06/24(火) 11:49:27.55 ID:f7L1IwgV0 ?2BP(3001) 株主優待 手塚治虫、藤子F不二雄らが出演した番組をNHKで再放送 NHKの過去の番組を放送する「NHKアーカイブス 蔵出し劇場」にて、「あの人からのメッセージ 夢追い人 〜『トキワ荘』の巨人たち〜」が放送される。 NHK BS2で7月2日に放送予定だ。 手塚治虫さん、藤子・F・不二雄さん、石ノ森章太郎さんを取り上げた番組で、人たちも出演している番組のもよう。詳細はNHKのサイトで。 http://www.new-akiba.com/archives/2008/06/nhk_61.html http://www.new-akiba.com/archives/

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