日本の資本主義の精神的バックボーンとして、私は以前、仏教、特に「禅」的な現世での解脱の「カタ(型)」があることを指摘したことがある。つまり、絶えざる革新を要求してくる市場に対して会社の仲間たちが相互に助け合いながら新しい商品を開発していくその様は、まるで同朋たちと互いに切磋琢磨しつつ現世での解脱を目指す禅寺での修行そのものではないか、と。また日本のドラマやマンガなどのサブカルチャーも、基底にあるのは小集団内での修行による閉塞状況からの脱却、つまり現世での解脱を目指す禅寺での修行に他ならない。そこでの主人公は小集団の中で師に導かれ、同朋に助けられ、精神的に成長し、かつての敵も同朋に加え、さらに修行を積んで成長していく。これはまさに日本資本主義の中での個人と組織のあり方の理想像であり、ヴェーバー的には、禅の倫理こそが日本資本主義の精神だと言えるだろう、と(拙著『マンガ・特撮ヒーローの倫理学』参
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