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いい話に関するplanetradioのブックマーク (5)

  • ある日、ケーキ屋の娘に恋をした。:ハムスター速報

    ある日、ケーキ屋の娘に恋をした。 Tweet カテゴリ☆☆☆☆ 1 :名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/16(日) 01:01:37.74 ID:6FH1lNzy0 結婚式が近づいて過去を振り返ってたら わりとネタ人生だったのでまとめてみた。 スレが立ったらぼちぼち書きこんでく。 4 :名前:1:2011/10/16(日) 01:05:29.38 ID:6FH1lNzy0 立った。スレ立ては初めてなので文章稚拙だがスマソ。名前は全部(仮)。 すべてのはじまりは、とあるデパ地下の寿司屋でバイトを始めたことだった。 いや、すべてのはじまりは「NO」と言えない性格に育ったことか…。 何となく高校を卒業して可もなく不可もない大学に入学した俺。 5 :名前:1:2011/10/16(日) 01:07:56.02 ID:6FH1lNzy0 便所飯

  • 高校の時、母親が病気で亡くなった。父は恋人を作って家を出ていった。:アルファルファモザイク

    ■編集元:生活全般板より 768 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:29:44 ID:Sz0CHrYx 夜中にこっそり長文を貼ります。怒らないで。 高校の時、母親が病気で亡くなった。 父は弱い人だったのだと思う。 苦しむ母親から目をそらして、他に恋人を作って、母親が亡くなると家を出ていった。 「高校卒業までは面倒をみる。その後は自力で暮らしてくれ」 受験も追い込みに入る3年生の秋、わたしはこうして独り暮らしを始めることになった。 わたしの通っていた高校は進学校で、ほぼ100%の生徒が大学を目指していた。 わたしだけ、大学受験という目標は消えた。 授業料や家賃や光熱費は父が負担していた。 生活費は送ってもらえなかった。 どこを探しても家にはお金がなかった。 父の新しい相手は他人の奥さんだった。きっと慰謝料のために何もかも持っていったのだ

  • エスカレーターの前に立ち尽くすババア

    このまえ買い物に行ったら、下りのエスカレーターの前にどこかのババアが立ち尽くしてるわけ。右手で、動いている手すりのベルトに少しだけ触れながら、プルプル震えてるのよ。 俺はババアの左を通って、エスカレーターに乗ってさっさと下に下りていこうとしたんだけど、ふと振り返ると、ババアは俺を見て寂しそうに笑ってるんだよ。助けてって目が言ってた。それでようやく鈍感な俺もババアが下りのエスカレーターに乗れなくて困っていた事がわかったわけ。 知るかよ。 そんな目で見られたって、俺はお前の孫じゃない。急いではいないけど、俺はもう下りのエスカレーターに乗って下ってるんだぞ。 そんな目で見てもシラネエヨ。 気づいたら、下りのエスカレーターを逆走して駆け上がってた。 なかなか上までたどり着けずに、最近運動不足かもしれないという事を考えながらババアのところまで走ってた。 「降りれられないのか?」 俺の問いかけにうなづ

    エスカレーターの前に立ち尽くすババア
  • ばあちゃんと自転車

    俺、老人苦手。 「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。 老人慣れしてるヤツってスゴイ。 電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。 年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。 敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。 胃が痛くなる。 親がいなくなると、話題ゼロ。 田舎帰るの嫌い。 で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。 高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。 ところが、 去年、じいちゃんが死んだ。 葬式はさすがに帰省。 正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。 ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。 それから一年。 親父がいきなり 「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」 発言。 いやい

    ばあちゃんと自転車
  • 水木先生の思い出

    幼少の頃から自分は水木しげる先生の大ファンで 毎月、ゲゲゲの鬼太郎の載っている掲載紙を友達から貰って読んでは感想を送ったり 水木先生には及ばないが3日かけて背景を点描したりして絵を模写しては 掲載紙(ボンボンだったか…)に送ったりしていた。 ある時、水木先生の画集が発売されるという話を聞いた。 小学生の自分には手が出ない金額だった。 親にねだろうにも当時は母一人子二人というほぼ極貧生活で、母が毎日深夜まで パートや仕込みの仕事をしているのを見ていると、とても言い出せなかった。 その「すごい画集」を指をくわえて見ているしかなかった。 しばらく経って学校帰りに妹を近所の家から回収して宿題をしていると、大きな郵便の箱が届いた。 自分宛で差出人は水木しげる先生だった。 帰って来た親の了解を受けてから箱を開けるとその「凄い画集」が入っていた。 水木先生の手紙と直筆のイラストと一緒に。 手紙には「増田

    水木先生の思い出
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