『日本書紀』の第九段本文では、天照大神の子(みこ)正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみ)が、高皇産霊尊(たかみむすひ)の女(むすめ)幡千千姫(たくはたちぢひめ)を娶りて天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎ)を生む。 高皇産霊尊は、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を葦原中国の主(きみ)とするために、葦原中国の「邪鬼(あしきもの)」をはらう手立てを八十諸神と相談して講じていた[8]。(国譲り) 天稚彦の派遣から始まる葦原中国平定(国譲り)後、時に高皇産霊尊は真床追衾(まとこおふすま)を以ちて、皇孫(すめみま)天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って降臨させた。 皇孫は天磐座(あまのいはくら)を出発し、また天八重雲(あめのやえくも)を押し分け、稜威(いつ)の道(ち)別き道別きて、日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂峯(たかちほのみね)に天降った[注 2]。 続いて道中の
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