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山本義隆に関するpn11のブックマーク (6)

  • http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/imai.htm

  • ヤン富田 山本義隆 山形浩生 | poqu.log

    ヤン富田さんの「フォーエバー・ヤン」を聞いていて、サンプリングされている『実践的に明らかにしていったと、ぼくは信じております』という声が山義隆さんであるということを思い出し、 のビデオを見て、『磁力と重力の発見』の山形浩生さんの書評を読みたくなったけど、asahi.comからページは消えていたので、webarchiveから拾った物を下に保存しておきます。 多くの人は、昔の人たちは迷信深い非科学的な連中だったと思っている。その非科学的な部分、たとえば魔法だの錬金術だのを切り捨てることで、現代科学が成立したのだ、と。 書『磁力と重力の発見』全三巻は、この通念をひっくり返してくれる快著だ。書は説く。科学は魔法を切り捨てたのではない。むしろ科学は魔法の直系の末裔(まつえい)なのだ、と。それも極端に言えば万有引力というニュートン力学の根幹こそ、魔法の最大の遺産なのだ、と。 現代科学を妄信するぼ

  • 山本義隆氏に関する所感 - フロイデ

    : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : 私はいわゆる全共闘世代(ほぼ団塊の世代と言える世代)では ない。その10歳か「ひと周り」下の世代だ。だから、1960年代 後半の、「日だけでなく、世界的な熱いエネルギー」に、 少なくとも「青年期」としては直接触れなかった世代であり、 それは多分、幸運だった面もあるのだろうけれど、でも、正直に 言うなら、「必ずしも幸運だったかどうか判らない」という疑心は 少しあるだけでなく、あの時代や当時の青年の(偽善や欺瞞も 含めた)情念等に、相当大きな興味(羨望とまでは言わないが) を持っている(あるいは一時期は持っていた)世代(おそらく 最後の世代)の1人ではあるのかもしれない、とは思っている。 最近、渡辺 眸(ひとみ)さんという写真家が、 「東大全共闘 1968~1969」 という、白黒写真をメイン

    山本義隆氏に関する所感 - フロイデ
  • http://www.news.janjan.jp/government/0706/0706257833/1.php

  • 元全共闘議長の情熱

    考える力がたいせつだ。その基となる日語も重要だ。教育論がにわかに高まっているが、2人の自然科学昔が、そのことを早くから率直な言葉で語っている。 昨年の3月末、駿台予備学校物理科講師の山義隆さんが、受験を終えた200人あまりの学生に話をした。著書の『磁力と重力の発見』で大佛次郎賞などを受賞した記念講演である。 山さんは、近代科学の歩みを説明し、最後に「ところで、何のために勉強するのでしょうか」と問いかけた。 「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを白分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」「外国では、自己主張しない人間は単に不勉強で無能だと思われるだけです」 自分の考えを持つだけでなく、それをきちんと話し、書くことも重要だ。そう主張した人に環境化学者の立川涼さんがいる。10年

  • 東大全共闘 攻撃的知性の復権 一研究者としての発言 山本義隆

    攻撃的知性の復権 一研究者としての発言 山義隆 一九六九年一月十八~十九日のいわゆる「安田講堂攻防戦」を頂点として、東大闘争は新しい段階にはいって今日を迎えている。山義隆は東大全共闘議長として知られているが、「議長」というのは全共闘の性格上便宜的なものであり、正式な役職名ではない。 いま、東大闘争はこれからなのだという実感がいよいよ深まっていくのに、さまざまな罪名で公安から追及されて最前線へ出られないことにいらだちをおぼえる。町町にこれほど私服の目が光っていることをいままで気づかずにいた。なるほど日には議会主義の秩序はあるが、それは枠外での警察国家状況で補完されているのだということが肌身に感じられる。 しかし、いまは語らねばならぬことがあまりにも多くて、言葉のまずしさにもどかしさを感ずる。すべてを語りつくせぬときは、一人の人間の実感を述べるしかない。 いままでぼくたちは先へ進むために

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