まあ「迷惑を我慢する側」が「自分が迷惑を我慢することに納得できる物語」を必要とするのは当然なんだけど,「自分の納得のための物語」と「皆が守るべきルールや道徳」とがイコールとは限らないよねという話。by 渡邊芳之
![渡邊芳之先生@ynabe39の「「一般論」の話をしているふりをしているけどみんな「自分がやってることはいじめじゃないですよ,いじめじゃないですよね?」と言いたいんだよね。 」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6b60c8c89212ae97730a9f132ebd4ed98c2164c6/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fb704a6effa3139a926362895873f909d-1200x630.png)
先日、あるいじめ関係のシンポジウムにパネラーとして参加しました。 その席上、長野県の中学校の先生が実践されている「いじめ対策」は、目から鱗が落ちる素晴らしいものだったので報告したいと思います。 それは、以下のような手順で行われます。 1 いじめの認知は、本人、親、友人の誰からの報告であっても 「この事態を心配している人から報告があった」で統一する。 ※ いじめ加害者やその親は「誰がそんなこと言った」と言いがちなので、 教員側の対応を統一しておくことは極めて有効と思われます。 2 必ず、一人の教員ではなくチームで対応する。 ※ チーム対応は教員の一番苦手とするところですが、是非克服してほしいところです。 3 複数の加害者(大抵そうです)と複数の教員が別部屋で1対1で対応する。 ※ ここで、各加害者の発言に矛盾が生じます。 4 15分後に部屋に加害者を残して教員が集合し、情報交換・矛盾点の分析
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く