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湯本正典に関するpolynityのブックマーク (2)

  • 第24回セマンティックウェブとオントロジー研究会のナイトセッション(ICT革命の本質についての仮説) - コンテキストを考える

    こんにちは。湯です。しばらく、このブログをお休みしてしまいました。間隔があいてしまいましたね。 実は、先週の水曜日、木曜日(6月22日―23日)に「第24回セマンティックウェブとオントロジー研究会」に参加しました。この研究会は、浜名湖の舘山寺温泉で行われたました。私も口頭発表したのですが、その内容の準備に手間取り、ブログを書く時間が確保できませんでした。相変わらず、仕事の見積もりや、見通しが甘いのは、いけないことだと反省しております。 さて、第24回セマンティックウェブとオントロジー研究会の表バージョンについては、下記のページをご覧いただくとして、 第24回セマンティックウェブとオントロジー研究会 その1日目の夜に開かれた、ナイトセッションのお話を少ししたいと思います。これは、みなさんで車座になってざっくばらんにフリートーク(悩み事相談?)をする会でした。 そこでやはり話題になったのは、

    第24回セマンティックウェブとオントロジー研究会のナイトセッション(ICT革命の本質についての仮説) - コンテキストを考える
  • コンピュータと人間、そして神。 - コンテキストを考える

    コンピュータができたとき、フォン・ノイマンが、それを指して「世界で2番目に頭がいい」と言ったそうである。その時のコンピュータの能力は、今のスマートフォンより劣る。今では、スマートフォンが世の中に溢れているから、残念なことに、頭がいい人間の価値が相対的に低くなってしまう。しかし、頭がいいということはどういうことだろうか?コンピュータを指して頭がいいというのは、「計算が早く、記憶がいい」という能力を評価してのことである。確かに、「計算が早く、記憶がいい」人を指して、「あの人は、頭がいい」という場合もあるだろう。ところが、残念なことに、人間は、計算力、記憶力においては、コンピュータに負けてしまう。つまり、今、人間がやっている計算と記憶は、コンピュータにすべてやらせたほうが、経済的には、コストダウンになる。そういう時代である。けれども、「計算が早く、記憶がいい」ことは当に頭がいいことなのだろうか

    コンピュータと人間、そして神。 - コンテキストを考える
    polynity
    polynity 2011/05/25
    旧約聖書の神は頭がいいとは思えないのですが、それも、神的な賢さと人間的な賢さとが違うからでしょうね。
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