学び 亡くなったはずの猫がご飯を食べに来ます。 - 先日交通事故で、頭を踏まれて(おそらく)即死だったうちのねこがご飯を食べに来ま... - Yahoo!知恵袋
質問者様ご自身が猫の死を受け入れきれてないように思えて心配です。 ですが、死後もご飯を食べにくる、というのはなんとなくわかります。 うちの猫は老衰ですが、瀬戸物を出せるごみの日まで台所に水飲み皿を出しておきました。 猫は火葬にして骨になって私の部屋にあって、水飲みカップもお花もお線香もおいてありましたが、台所から鈴と瀬戸物がぶつかる音が聞こえました。 お風呂に入っている時もちりちりと鈴の音が聞こえる時がありました。出待ちする猫でしたので、「ああ、まだいるんだ」と思いました。 お皿を処分する頃には聞こえなくなりました。 と、いうか意識しないことにしました。 私が落ち込んでいたり寂しがっていたりすると、いつまでもちゃんと旅立てないのではと思ったからです。 死の間際も思わず「やだよお、頑張ってよお」と泣き出したら、横になっていた猫が立ち上がろうとしたからです。慌てて「ごめんね頑張らないで良いよ」
神。魂(の永続性)。 この二つの概念を扱う分野を、私は宗教と呼ぶ。哲学ではない。自称「哲学」がこれらの概念を取り扱っていた時代は確かにあった。ヨーロッパ中世の神学である(いわゆる「神学の婢女としての哲学」)。カント以降、この傾向は――私が知り得る限り――極端に減少する。 現在、この二つの概念を真剣に取り上げる哲学(研究)者は少ない。 私自身、この二つの概念には関わらないであろう――存在論的観点では――。しかし、意味論的観点では扱う価値が大いにある。 すなわち、これらの概念がどのように人々の間で機能していたのかという考察。これはニーチェの系譜学的考察およびフーコーの考古学的考察とも深い親縁性がある。
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