三沢文也 @tm2501 前半の毒親パートが過去1で壮絶すぎる。1つの家庭で2種類のヤバい虐待案件はさすがに聞いたことない。 高嶋あがさ の 母を片づけたい~汚屋敷で育った私の自分育て直し~ (バンブーコミックス エッセイセレクション) を Amazon でチェック! amzn.to/2Oxd1Sf 2019-11-30 19:52:07
![「母を片付けたい」という毒親マンガ読んだら、毒親談義をせずにいられない体になってしまった…](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f54cea299846ec6992de9c78e217b2bdbcaaf912/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F69ea6ad551853ee9752a7d6cf181b612-1200x630.png)
父親がステージIIIのスキルス性胃がんだと診断されて 医者によると「もってあと1年」というというところらしい それで今毎日のようにお見舞いにいってるんだけど それを18年前に上京した娘にLINEで伝えても、一顧だにせず実家に帰ろうとしない 曰く「私が帰ることで祖父のガンが治るなら帰るけど、そうじゃないので帰らない」とのことだった いや、そういう問題じゃないでしょ・・・ 育て方間違えたかなぁ
父は昔から「働かざる者食うべからず」という思考の人だった。 父も母も高校を卒業してからずっと働いているし、 おそらく私と兄が奨学金を借りてでも進学したいと言ったこと、母が子供がやりたいならそれを応援すると進学することを応援したこと。すべてが気に入らなかったのだと思う。 兄は私が高校に入るころ、無事に就職し遠方だったので家を出た。 私は専門学校を卒業したが就職難で就活がうまくいかず2年ほどフリーターを経て、ようやく去年就職した。 フリーターの間の父の風当たりはとても厳しかったし、休みの日に朝7時まで寝ているだけで早く起きて家事をしろと蹴り起こされることもあった。 父に就職したことを報告すると「絶対に、辞めるな」その言葉が返ってきた。 結果として、私は1年半で退職してしまった。 初めて就職したその会社はパワハラがひどく、残業代が出ないのにも関わらず長時間残業。 7時前に家を出て帰るのは23時頃
2014-11-16 加虐者はこのブログから出ていってください 毒親結社、結成おめでとうございます つくづく、日本というのは加虐者の声のほうが大きい社会だと思う。 私は、ときどき自分の親とのほっこりエピソードをブログに書く。拙著『失職女子。』にも、なぜ両親からの経済的援助を受けなかったを説明するための前段として、両親とのほっこりエピソードを少し書いた(さほどページは割いてないけど)。 すると、親のお仲間さんたちから、判で押したように同じようなテンプレ・クソ・コメントが、必ずつくんだな。 ①「そうはいってもご両親はあなたを愛してたと思うわよ」 ②「30代後半になっても親が怖いなんてwww」 ③「ご両親にもいろいろ事情はあった。親だからと言って完璧ではない。親も人間。だから許してあげましょう」 ④「あなたの人生は親を許すところから始まる」 私の両親とそのお仲間たちは、秘密結社でも結成しているの
のが約三年前。 それを機に自分と家族の関係が変わっていった事を簡単に書く。 一言でいうなら僕と家族が極めて疎遠になった。 年末年始および家族親族が集まるような場所に僕が一切出席しなくなった為。 理由は姪の名前を呼びたくないし、呼ばれているのも聞きたくないし、どちらをするにしても非常にいたたまれない気持ちになるから。 子供の責任じゃないという意見はまったくもって正しいのだが、正直名前を聞くたびに我が家の特徴である相手の事を考えない自己完結した独善性の象徴をみせられるようでとても気が重くなる。 なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。 DQNネームというものの害悪の本質は本人や親よりもこの
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