究極のところまで逝ってしまったようである。 まあ分かっているとは思うけど彼らの日常に倦んだ娯楽と化しているんじゃないのかな?
大阪北部地震で9歳の女の子が小学校の塀の下敷きになって亡くなった件について『可哀想だ』『痛ましい』といった声がネットに溢れている。 だが、そのような声を上げている人に敢えて問いたい。あなたは亡くなった子や保護者の知り合いなんですか。 亡くなった女の子の保護者や友達、通っていた学校の先生などがそのように思うのは当然の心理だ。そこを問題視するつもりはない。 だが、ネットで可哀想だと言っている人の多くはその子と何の関わりもない他人だろう。それなのになぜ可哀想だと思うのか。 「いや、幼気な9歳の女の子が亡くなったら誰だって可哀想に思う」そのような答えが返ってくるかもしれない。 だが、残念ながら幼気な9歳の女の子が事故や紛争で亡くなる事例は世界中に山ほどある。それなのになぜ、今回亡くなった子だけについて可愛そうだと思うのか。 答えは簡単だ。あなたにとって今回亡くなった子は、遠い外国で殺された9歳の子
アミエッタ @kirietta たとえば電車でお年寄りに席を譲った若者は褒められても、はじめから座ることを遠慮して立っていた若者は褒められたりしないん たとえばトラブルを回避し続けるより、起きたトラブルを処理したほうが腕が良さそうに見えるん こうして気が利きすぎる人は、普通に気が利く人に手柄を横取りされているん 2017-08-03 23:39:43
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