ある種の人々は、自分が習慣的にやっていることについて「私はしません」と言われるとそれだけで自慢されたと感じるものらしい。 たとえば、 毎日テレビを見てる人にとって「テレビ見ません」は自慢 喫煙者にとって「煙草吸いません」は自慢 プロ野球好きにとって「別に好きな球団はありません」は自慢 自家用車を持っている人にとって「自動車持つ気ないです」は自慢 よく信号無視する人にとって「赤信号だから止まります」は自慢 Youtubeで音楽を聴いている人にとって「金出して(CDやmp3を)買ってます」は自慢 ワレザーにとって「違法コピーしてません」は自慢 以上はすべて実際に誰かが言っていた例だが、こうして並べると反社会的だったり非生産的だったり何らかのネガティブな要素が含まれているケースが多いように見える。無意識の罪悪感が彼等に強迫観念をもたらしているのだろうか? でも『「ゲームやりません」は自慢』は聞い