唐の玄宗の開元年間のことである。 呂翁という道士が邯鄲(河北省、趙の旧都)の旅舎で休んでいると、み すぼらしい身なりの若者がやってきて呂翁に話しかけ、しきりに、あく せくと働きながらくるしまねばならぬ身の不平をかこった。若者は名を 廬生といった。 やがて廬生は眠くなり、呂翁から枕を借りて寝た。陶器の枕で、両端 に孔があいていた。眠っているうちにその孔が大きくなったので、廬生 が入っていってみると、そこには立派な家があった。その家で廬生は清 河の崔氏(唐代の名家)の娘を娶り、進士の試験に合格して官吏となり、 トントン拍子に出世をしてついに京兆尹(首都の長官)となり、また出で ては夷狄を破って勲功をたて、栄進して御史大夫部侍郎になった。 ところが、時の宰相に嫉まれて端州の刺史(州の長官)に左遷された。 そこに居ること三年、また召されて戸部尚書に挙げられた廬生は、いく