見てのとおり、ヴォーカルのダミアーノ・デイヴィッドをはじめ、トーマス・ラッジ、イーサン・トルキオも共に男性性を転覆させるような志向の装いを好んでしている。一方ヴィクトリアはかねてニプレス姿でメディアに露出し、幼いころから感じてきた女性として客体化されることの苦痛、性的対象化に対する忌避感を訴えてきた。 ちなみに2022年現在ネット上では「性的対象化」ではなく「性的消費」という言い回しが流布しているのだけれど、これはアカデミアにはない言葉なので、このワードで検索している限り適切な情報ソースには辿り着けない。未来ではこの言葉が廃れていることを切に願う。 ともあれ、ホモソーシャル(単一の性別の構成員に偏ったコミュニティ)なロックのシーンにおいて、こういったレプリゼンテーションが色物扱いされずおおむねただかっこいいものとして受容されている程度には世界の感覚は進歩している。この程度を進歩なんていった