仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
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岩下尚史の『藝者論』が和辻哲郎文化賞を受賞したと知って怒り炸裂である。『遊女の文化史』と大同小異の駄本である。ああ関西ではやはり山折とか梅原とか、こういうのを評価するのかと歎息。和辻賞は、学術部門はいいのだが、一般部門は時々変な本に授賞する。だいたい山折がこの賞をとった『愛欲の精神史』もひどい本だったし、渡辺京二の『逝きし世の面影』も、一部はひどい。渡辺にはその点を批判した論考を送ったが梨の礫。 ヨコタ村上が、「比較文学に否定的な考えを持っているという理由で日本比較文学会から除名しようと熱心に工作した」などと嘘を書いているので、阪大に文句を言ったが、金崎言語文化研究科長は、これ以上何かするつもりはないだの、過去のことだのと言って取り合わなかった。ヨコタ村上にも何度かメールしたのだが返事はなし。今は米国にいるらしい。(繰り返すが、ヨコタ村上に関して関西支部幹事に手紙を送ったのは、やつが学内セ
第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
「四方のどこにでも赴き、 害心あることなく、何でも得たもので満足し、 諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、 犀の角のようにただ独り歩め」。(Buddha)
きょう一日は家で過ごしました。きのうまでけっこう大学などに出かけていたので、ようやく夏休みが始まったという感じ。とはいっても、原稿の締切は過ぎているし、採点と成績付けがまだ終わっていないから、落ち着かない夏休み第1日目でした。学生より遅い夏休みというのは仕方ないけれど(こっちは仕事だから)、学生や職員たちが、教員も学生と同じように休んでいると思っているところがちょっと癪にさわるかな。 さて、そんな話はともかく、7月10日に予定されていたガヤトリ・C・スピヴァクの沖縄での講演会のドタキャンと当日の関係者のやり取りの顛末を、知り合いのU君がブログに書いているのをきょう見つけました。「スピヴァク講演会」というタイトルで、エントリが細かく10に分けられているところがちょっと読みにくく、また最後のエントリが「あれ? これで終わり?」という感じですが。 http://blog.goo.ne.jp/us
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