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外様大名に関するpsychicerのブックマーク (1)

  • 【主君を7度変えた男】藤堂高虎の戦国処世術

    藤堂高虎といえば、まず思い浮かぶイメージは「築城の名手」でしょうか。 生涯携わった城の数は20にも及ぶと言われています。 しかし、高虎は「変節漢」と呼ばれ、軽蔑されることもありました。 それは、彼が生涯に7度も主君を変えたことが原因だったのです。 彼はいったいどのように戦国の世を渡っていったのでしょう。彼なりの処世術がそこにはあったのです。 後の厚遇につながった心遣い 「後の主従・徳川家康と藤堂高虎」 近江国に生まれた高虎は、浅井長政に仕えました。 長政の没後は阿閉貞征、磯野員昌、津田信澄と主君を変えていきます。それからの数年は浪人生活をしていたようですが、ついに羽柴秀長という主に恵まれました。 そこで彼は戦功を挙げただけでなく築城の技術を発揮したのです。 そのため、聚楽第に徳川家康の屋敷を造るに当たり、秀長に作事奉行に任命されました。 設計図を目にした高虎は、警備上の問題を見つけました。

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