荘子に「虚室生白」という言葉があります。部屋はからっぽなほど光が満ちる。何もないところにこそ自由な、とらわれない心がある。「無何有」はそんな荘子のとくに好んだ言葉で、何もないこと、無為であること。「無何有の郷」という風に使います。そこでは普段の価値観がひっくり返される。何の役にも立たないと思われるものほど、豊かな存在なのだというわけです。たとえば路傍に巨木がある。曲がりくねって材木としては役に立たない。ところがその故にこそ大きく育ち、道行く旅人に日陰を与えてくれる。まるでぽっかりあいたスケジュール表の余白のような時間。からっぽだからこそ自由に満たされた時間。一見役立たずな巨木の木陰のやすらぎ。そんな想いが「無何有」という名にこめられています。 建築家 竹山聖