タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

TVとドラマに関するputeeuiのブックマーク (2)

  • 『銭ゲバ』と『ありふれた奇跡』(2) - ぼうふら漂遊日記

    http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20090314 からの続き。 僕はもともと、山田太一ドラマの積極的なファンではない。 どちらかというと、善意のインテリが、市井の人々やそれを取り巻く時代状況を分析しながら作ったような、ちょっと頭でっかちな印象をずっと感じてきた。 彼のドラマは、様々な世代や立場の人々の対立を、それぞれの立場に彼が成り代わって、言葉(セリフ)で親切に説明するような場面が多いけれど、特に、言葉を持たないタイプの人(年長世代であることが多い)が、饒舌に自分を語り、立場を表明し意見を主張しているシーンに、違和感と反発を感じた。彼らは自分の思いや感じ方を、容易く理屈で客観視したりせず、自分を分析的に許したり、主張したりしないからこそ彼らなんじゃないかと。 「ながら見」が基テレビドラマの制約というだけでなく、これは確かに、山田ドラマの質的な特

    『銭ゲバ』と『ありふれた奇跡』(2) - ぼうふら漂遊日記
  • 『銭ゲバ』と『ありふれた奇跡』(1) - ぼうふら漂遊日記

    最近には珍しく、今期は毎週楽しみに観るドラマが2つもあった。 既に何度かここでも触れている『銭ゲバ』と、山田太一最後の連ドラと言われている『ありふれた奇跡』。 『銭ゲバ』が終盤に入って急に失速している一方で、序盤、展開らしい展開がほとんどなくてちょっと退屈していた『ありふれた奇跡』の方は尻上がりに面白くなってきた。 まず『銭ゲバ』。これは意見が分かれるところだと思うが、僕はミムラ演じる緑を引っ張りすぎてると思う。 微温的な環境と資質に恵まれて生きてきた「持てる者」であるせいで、自己肯定的(であることを意識するまでもない)な性善説によって、自分の理解をはみ出したものを無自覚に切り捨ててしまっている緑は、脚の岡田恵和さん自身の立ち位置の投影でもあり、また現代の若い善意の視聴者一般の視点を仮託されてもいるのだろう。ドラマ版の『銭ゲバ』は、彼女にとって埒外の不幸や情念を銭ゲバから叩きつけられた緑

    『銭ゲバ』と『ありふれた奇跡』(1) - ぼうふら漂遊日記
    puteeui
    puteeui 2009/03/14
    『銭ゲバ』と『ありふれた奇跡』(1)
  • 1