並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 7 件 / 7件

新着順 人気順

きだみのる ミミの検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 三好京三(第76回 昭和51年/1976年下半期受賞) あることないこと小説に書いて、あることないこと書き立てられて……。「直木賞作家」の鑑です。 - 直木賞のすべて 余聞と余分

    三好京三(第76回 昭和51年/1976年下半期受賞) あることないこと小説に書いて、あることないこと書き立てられて……。「直木賞作家」の鑑です。 三好京三。『子育てごっこ』(昭和51年/1976年11月・文藝春秋刊)で初候補、そのまま受賞。「聖職」でのデビューから18年。45歳。 今日のエントリーは長くなりそうです。心してかかります。 なにせ、直木賞を代表する作家であり、受賞作なのですよ。さまざまな観点において。すでに没後4年もたってしまいましたが、遅ればせながら取り上げさせてもらいます。直木賞オタク冥利に尽きます。 さまざまな観点、と言いました。三好京三さんと受賞作『子育てごっこ』。直木賞にまつわる数多くのテーマが、凝縮されて詰まっています。 純文学と大衆文学との区別。純文学への憧れ。東京と地方との温度差。権威欲。名誉欲。週刊誌を中心とした、あることないことのゴシップ。そこから生まれた

      三好京三(第76回 昭和51年/1976年下半期受賞) あることないこと小説に書いて、あることないこと書き立てられて……。「直木賞作家」の鑑です。 - 直木賞のすべて 余聞と余分
    • 自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(7) : 同伴者の本棚

      文士劇ではないけれど楽屋裏を明かすと、当初、この回はおなじ父と娘の物語でも、室生犀星の「杏っ子」を予定していたのだけれども、どうしても構想がまとまらず頓挫して(というのもおこがましく恥ずかしいかぎりで、決してそんな大げさなものでも、ましてや高尚なものでもないのはいうまでもないことながら)、気分転換で「芥川賞直木賞秘話」(高橋一清著、既述)を読んでいたら、三好京三「子育てごっこ」の直木賞が書かれていて、自由人の典型とも言うべききだみのるをハタと思い出し、三好京三の著作幾冊かにあたってみた。 するとどうであろう、自叙伝「分校ものがたり」に、(第3章に述べたように)当の編集者高橋一清が名指しで出て来るではないか! という次第で、このリンクにすっかり気を良くして、急遽「子育てごっこ」に変更したことで、まったく「偶然」に(この言葉は今回のキーワードみたいになった)、当ブログは三話つづけての一関つなが

        自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(7) : 同伴者の本棚
      • 自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(3) : 同伴者の本棚

        昭和49(1974)年6月、それまでの放浪生活に一応の区切りをつけ、せっかく大森分校での暮らしと学習に離れがたい愛着を持ちはじめていたミミ(深尾千尋)に引導をわたすようにして、病重篤となった「おじちゃん」こと、きだみのるのそばへと送り帰したのが、昭和50年の5月3日であった。 ちょうどそのころ、「小説新潮」新人賞に応募した小説「兎」が、最終審査まで残っていたものの、惜しくも落選していた。しかし、この落選が「子育てごっこ」誕生の端緒となったのだから、人生万事塞翁が馬というか、ここでも「偶然」が働いていたようである。自伝「分校ものがたり」に、こうつづられている。 「落選はしたが、最終候補に残ったので、藤原審爾さん、源氏鶏太さん、曽野綾子さん、三人の選考委員の評はもらえた。憧れのプロ作家の評だから、おしいただく思いで読んだ。わけてこたえたのは曽野綾子さんのものである。 〈〝兎〟は、はじめ、雪の描

          自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(3) : 同伴者の本棚
        • 自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(6) : 同伴者の本棚

          さて「子育てごっこ」後日談である。 きだみのるとミミくんを知るのに、嵐山光三郎の「漂流怪人/きだみのる」は、まことに貴重な一冊であった。今回もいろいろと教えてもらわなければならないが、嵐山光三郎はこの書をきだみのると出会ってから四十五年後に書いたとつづっていたので、てっきり三好京三の死去を俟(ま)って、にわかに筆をとったのだろうと勝手に想像したりしたのだけど、まったくちがっていた。 三好京三の死は、入浴中に脳梗塞に襲われての平成19(2007)年の76歳時で、「漂流怪人」は2012年からの雑誌連載を経ての2016年の刊行だった。だから、三好京三の死は関係していただろうが、にわかにというほどではない。嵐山光三郎は昭和17(1942)年生れで、三好京三死去の年は65歳、「漂流怪人」刊行時は74歳だったことに。 都合の良いことに「漂流怪人/きだみのる」には、「『子育てごっこ』とその後」という最終

            自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(6) : 同伴者の本棚
          • 自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(2) : 同伴者の本棚

            三好京三の前身、小学校教師佐々木久雄は、国と県から教諭としての最高の顕彰を受けていたにもかかわらず、少年の日に抱いた作家への夢をあきらめてはいなかった。「25歳までに芥川賞、35歳までに直木賞」の願望こそ遠い目標でしかなかったけれども、その年齢を超えると今度は「45歳までに中央の新人賞」へと、気持ちと目標を切り替えて、せっせと公募新人賞に投稿を繰り返していた。 とにもかくにも、「なにがなんでも作家になりたい!」願望は、執念となって燃えつづけていたのである。 そしてこのことは、取りも直さず14歳の佐々木少年が昭和20年の旧制一関中学生のときに立てた志を、三十年にわたって抱きつづけていたことを意味している。初志貫徹もここまでくれば感嘆、脱帽するほかない。もうこうなると、凡人の成せる努力ではない。 それゆえであったろうか。まるでそれは文学の女神(というものがあればだが)が、一人の少女に姿を変えて

              自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(2) : 同伴者の本棚
            • 自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(8) : 同伴者の本棚

              起承転結、序破急というほどととのった文章ではないにせよ、一応、前章までにそれらしき結論は出ているのだから、この終章はあらずもがなであって、これをこそ蛇足というのだろうけど、まあ、長い、長いあとがきということで。 きだみのるに関する伝記類はいくつかあるようだが、それにミミくんを登場させた著作となると、いまのところ三好京三の小説「子育てごっこ」と「親もどき〈小説/きだみのる〉」二作と、嵐山光三郎の評伝「漂流怪人/きだみのる」ということになるのだろうか。 文学的意匠を凝らした「子育てごっこ」は別にして、「親もどき〈小説/きだみのる〉」と「漂流怪人/きだみのる」は、小説と評伝、異なるジャンルであるにもかかわらず、まったくおなじことが書かれている文章、二箇所が目にとまった。 その一つを「親もどき・・」から、まずは引用してみる。 関西のラジオ局から「きだみのるの教育論」を取材に大森分校に訪れた若い女性

                自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(8) : 同伴者の本棚
              • 自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(5) : 同伴者の本棚

                前章で書き洩らしたどうでもいいトリビアルなことから。 三好京三の直木賞は1976年の第76回下半期、芥川賞は受賞作なし。1977年の第77回上半期は直木賞なしで、芥川賞が池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」と三田誠広「僕って何」のダブル受賞。 長い芥川賞、直木賞の歴史で、西暦の末尾二桁の数字と進行回数が重なるのは、このニ回だけである。つまり三好京三は、その栄誉(?)を独り占めにしていることに。 まさに「偶然に恵まれない人間はあかんのや」そのものではないか(笑い!)。 ただし西暦を昭和の元号に直すと、昭和26年下半期と27年上半期にもおなじ現象があったわけだけど。そのときの芥川賞は堀田善衛「広場の孤独」、直木賞は柴田錬三郎「イエスの裔」と久生十蘭「鈴木主水」で、第27回が芥川賞なしの、直木賞は藤原審爾「罪な女」である。 このあと第28回芥川賞が、五味康祐「喪神」、及び松本清張「或る〈小倉日記〉伝」で

                  自由人の系譜 三好京三「子育てごっこ」(5) : 同伴者の本棚
                1