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ディルク・カイト 監督の検索結果1 - 23 件 / 23件

  • 「試合はすべてリアルタイム観戦」KOP声優・白井悠介がFCWCでリバプールに期待すること - footballista | フットボリスタ

    クラブ世界一を決めるFIFAクラブワールドカップ(FCWC)の季節が今年もやってきた。開催地が昨年までのUAEから同じ中東カタールへ移った今大会、大本命はやはり6年連続で王者を輩出している欧州代表のリバプールだろう。そこで今回は、熱狂的なKOP(リバプールファンの愛称)である声優・白井悠介さんに愛してやまないリバプールへの想いとともに、このFCWCでリバプールに期待することを語ってもらった。 リバプールへの本気度 心をつかまれた“イスタンブールの奇跡”。試合はすべてリアルタイムで見ています ── 本日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございます。最初に、白井さんは15年来のリバプールファンだとおうかがいしたのですが、なぜリバプールを好きになったのか、きっかけを教えてください。 「最初は『なんとなく』だったんです。もともとプレミアリーグが好きではあったんですけど、当時、僕の家にはリアルタ

      「試合はすべてリアルタイム観戦」KOP声優・白井悠介がFCWCでリバプールに期待すること - footballista | フットボリスタ
    • “謎のクラブ”がCL参戦!モルドバ王者シェリフとは何者なのか? - footballista | フットボリスタ

      CL予選1回戦から登場したモルドバ王者のシェリフ・ティラスポリが次々と勝ち上がり、プレーオフではディナモ・ザグレブを撃破。奇跡のCL本戦出場を果たした。かつてディナモ・サポーター「バッド・ブルー・ボーイズ」に混ざって、彼らの本拠ティラスポリに乗り込んだことがあるジャーナリストの長束恭行氏に、謎クラブの正体に迫ってもらった。 母国のテレビ局『RTL7』で解説者として出演した元オランダ代表のディルク・カイトは、CLプレーオフ第1戦の結果を受けて、身も蓋もない発言をテレビカメラにぶちかました。 「CLが王者のためのトーナメントであることは知っている。しかし、シェリフ・ティラスポリのようなチームがCLでやることは何もない」 シェリフに対して敬意に欠ける発言を残し、欧州サッカーファンの間で物議を醸したカイト これは一種の「メガクラブ的な視野狭窄」である。いわゆる名将やスタープレーヤーが上位クラブの間

        “謎のクラブ”がCL参戦!モルドバ王者シェリフとは何者なのか? - footballista | フットボリスタ
      • 16年前の今日 ディルク・カイトがリバプールの一員となった日

        彼ほどに献身的なアスリートを私はほとんど知りません。 今から16年前の今日、2006年8月18日のこと、ディルク・カイトがリバプールの一員となりました。 当時の指揮官はラファ・ベニテス監督であり、ディルク・カイトのことが欲しくて、数年越しのラブコールだったとも言われたものです。 献身性という点において、ディルク・カイトは抜群でしたし、スポーツマンシップも素晴らしかった。 また、チームの構成上、いろいろな役割を任されましたが、嫌な顔などひとつもせず、プロフェッショナルな仕事をしてくれたものです。 ディルク・カイトがリバプールに在籍をしたのは、2006-2012で、その間における公式戦出場は285試合で、71ゴールを記録しています。 私が言うまでもなく、ディルク・カイトの貢献は、この数字だけで語り切れるものではありません。 まさにレジェンドですね! 本来、ストライカーとしてフェイエノールトから

          16年前の今日 ディルク・カイトがリバプールの一員となった日
        • プレミアリーグにおけるリバプールの歴代得点ランキング・トップ10

          ユルゲン・クロップ監督のもと、攻撃的フットボールを標榜するリバプール。 フロントスリーは、その代名詞でもあり、相手チームを恐怖に陥れていますね。 ところで、プレミアリーグの歴史を遡ったとき、リバプールのプレイヤーとして最も多くのゴールを決めたのは誰なのか!? 今回は、それを見て行きたいと思います。 レッズの点取り屋といえば、私の中では、まずイラン・ラッシュの名前が浮かびます。 本当にゴールを決めまくったレジェンドですが、プレミアリーグが創設されたのは1992年であり、それ以降のプレイヤーが対象となります。 この企画はFourFourTwoが行っており、プレミアリーグが創設された1992年以降におけるリバプールのスコアラー・トップ10を見ることが出来ます。 では、10位から順に行ってみたいと思います。 果たして1位に輝くのは誰なのか!? ■10位:ダニエル・スタリッジ(50ゴール) ■9位:

            プレミアリーグにおけるリバプールの歴代得点ランキング・トップ10
          • 新年初戦で勝利のリバプール、遠藤航に専門メディアがMOTMの最高評価「あらゆる場面で打ち負かした」 - 超ワールドサッカー!

            「一生の思い出」 リバプール指揮の夢叶ったエリクソン氏が感謝! 「大きな勝者はここの全員」 元指揮官のスヴェン・ゴラン・エリクソン氏が夢叶った心境を明かした。 かつてイングランド代表史上初の外国籍指揮官としてチームの指揮を託され、クラブレベルでもベンフィカやローマ、サンプドリア、ラツィオなどでタイトルをもたらしたエリクソン氏。今年1月に母国スウェーデンのラジオで余命約1年のがん闘病を告白した。 そんなエリクソン氏がファンだと公言するリバプールは23日にアンフィールドでアヤックス相手に行われるチャリティマッチでの指揮を打診。粋な計らいに応じたエリクソン氏は念願叶って、スティーブン・ジェラードらを擁するリバプールレジェンドを率いた。 夢の実現となる試合はというと、開始3分に先制され、43分にも追加点を奪われる劣勢だったが、後半にグレゴリー・ヴィグナル、ジブリル・シセ、ナビル・エル・ザール、フェ

              新年初戦で勝利のリバプール、遠藤航に専門メディアがMOTMの最高評価「あらゆる場面で打ち負かした」 - 超ワールドサッカー!
            • 私が思うジョーダン・ヘンダーソンの凄いところ

              サンダーランドからリバプールへとやって来たジョーダン・ヘンダーソン。 スティーブン・ジェラードからキャプテンのアームバンドを託され、クラブマンとして獲得できる数多くのタイトルをリバプールにもたらしました。 獲っていないのは、ヨーロッパリーグだけですね。 ただ、近年のリバプールはチャンピオンズリーグにずっと出ていましたので、ヨーロッパリーグは獲れていないというマイナスな要素にはならないと思います。 独特のスタイルでトロフィーを掲げるスキッパー! リバプールに幾多の栄光をもたらしてくれたことは、本当に感謝しかありません。 Thank you, @JHenderson ❤️ pic.twitter.com/Gxp915hMDf — Liverpool FC (@LFC) July 27, 2023 今回は、あくまで私の中におけるヘンドのことを書きたいと思います。 お許しください。 ヘンド!と言っ

                私が思うジョーダン・ヘンダーソンの凄いところ
              • ジニはリバプールに残るべきだとするライアン・バベル

                ライアン・バベル。 その名前をご記憶の皆様も多々いらっしゃることと思います。 かつてリバプールでプレイをし、息の長い活躍をしているオランダ人。 オランダ代表では、ジョルジニオ・ワイナルドゥムとチームメイトであり、自身の経験を踏まえながら、ジニはリバプールと契約延長をし残るべきだとしているそうです。 これはエコーが報じているもので、同誌の言いぶりはといえば、「ライアン・バベルがジョルジニオ・ワイナルドゥムに警告を発した」。 直に訳すと、こんなタイトルになっています。 改めて、ライアン・バベルのことをご紹介してみると、リバプールに在籍をしていたのは2007-2011のこと。 その間、146試合に出場し、22ゴールを決めています。 ライアン・バベルは、アヤックスからリバプールへやって来たわけですが、当時の監督はラファ・ベニテス氏。 また、あの頃のリバプールにはディルク・カイトが在籍をしており、オ

                  ジニはリバプールに残るべきだとするライアン・バベル
                • スティーブン・ジェラードのもとでならアシスタントもやりたいとするディルク・カイト

                  プレミアリーグのタイトルは取れなかったものの、スティーブン・ジェラードとディルク・カイトがリバプールで時間を共にした時代は、わくわくするフットボールを観ることが出来ました。 2人の関係は、今もとても良好だそうで、そのことをディルク・カイトがMirrorに語っています。 ディルク・カイトによれば、ずっと良い仲であり、今も時々連絡を取り合っていると。 また、折りに触れ、スティーブン・ジェラードが、ディルク・カイトの名前を出してくれることを光栄に思っているという趣旨の発言も彼はしていました。 ディルク・カイトは、スティービーには傑出したリーダーシップがあり、そのことが監督としてのキャリアでも高みに登らせて行くだろうと語っています。 いつの日か、スティービーは、リバプールの監督になるだろうとも。 スティーブン・ジェラードとディルク・カイトが、リバプールでチームメイトだったのは6年間でした。 あの頃

                    スティーブン・ジェラードのもとでならアシスタントもやりたいとするディルク・カイト
                  • 6年前の今日 ジョルジニオ・ワイナルドゥムがリバプールの一員となった日

                    早いもので、6年の月日が経ちました。 2016年7月22日には、ジョルジニオ・ワイナルドゥムが正式にリバプールのメンバーになることが発表されています。 ジニの愛称で親しまれたオランダ人であるジニ。 怪我が少なく、常にハードワークをしてくれるミッドフィールダーでしたね。 ジョルジニオ・ワイナルドゥムは、ニューカッスルからの移籍でリバプールへ来ており、5年間をマージーサイドで過ごすこととなります。 契約期間満了により、PSGへと新天地を求めたことは、ご存知のとおりです。 オランダ代表といえば、今日はディルク・カイトの誕生日でもあり、当時、「ジニはリバプールにぴったりだ」と語っていたものをご紹介しましたので、改めて記してみたいと思います。 ディルク・カイトは、次のようなことを言って、ジニの獲得を推していました。 彼は、素晴らしい才能を持った若者として、ユース時代からスカウトに注目されていたよ。

                      6年前の今日 ジョルジニオ・ワイナルドゥムがリバプールの一員となった日
                    • 日本時間深夜キックオフ! カラバオカップ決勝 リバプールが今、チェルシーに負けるわけにはいかない

                      リバプールが、前回リーグカップで優勝を果たしたのは2012年のことで、そのチームを率いていたのはケニー・ダルグリッシュ監督。 スティーブン・ジェラードがキャプテンであり副キャプテンはジェイミー・キャラガー。 いずれもリバプールの顔でした。 あの試合では、ディルク・カイトも大活躍をしています。 今、世界情勢としては軍事侵攻という絶対に許せない事態が起こっています。 この戦いは、リバプールが勝たなければいけません。 それが、リバプールというフットボールクラブが出来る世界へのメッセージでもあります。 モハメド・サラーとサディオ・マネが大仕事をやってくれるかもしれない。 新進気鋭のハーヴェイ・エリオットが、若くして歴史に名を残すかもしれない。 タキが躍動する!

                        日本時間深夜キックオフ! カラバオカップ決勝 リバプールが今、チェルシーに負けるわけにはいかない
                      • 15年前の今日 ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとなった日

                        当時のリバプールは、ラファ・ベニテス監督に率いられ、数年越しでディルク・カイトを狙っていると言われていました。 それが叶った日。 ファンは歓喜し、ディルク・カイトに大きな期待を寄せました。 ディルク・カイトが、リバプールに在籍をしていたのは、2006-2012で、その間における公式戦出場は285試合で、71ゴールを記録しています。 ただ、ディルク・カイトの功績を語るとき、その残した数字だけでは、とても足りませんね。 信じられないほどのハードワーカーであり、スポーツマンシップにあふれていたディルク・カイト。 どんな役割であっても、プロフェッショナルとしてこなしてくれました。 また、ディルク・カイトを語るとき、マンチェスター・ユナイテッド戦に強かったことも忘れることが出来ません。 リバプールファンは、そういった部分も含めて、ディルク・カイトが大好きだった。 リバプールへやって来た際には、いわゆ

                          15年前の今日 ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとなった日
                        • あれから14年 ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとなった日

                          時を遡ること14年前の今日、8月18日。 リバプールにオランダ人ストライカーがやって来ました。 その名はディルク・カイト! ずっとリバプールが狙っていたと言われていたし、契約が正式に決まったときには、ファンのボルテージも上がったものです。 ディルク・カイトは、とにかくリバプールファンから愛された。 あれだけ仕事をしてくれたら、誰もが拍手を送りたくもなるというもの。 ディルク・カイトが、リバプールに在籍をしていたのは、2006-2012で、その間における公式戦出場は285試合で、71ゴールを記録しています。 一方、ご存知の皆様が多いように、ディルク・カイトの素晴らしさは、その数字だけでは、とても語り尽くせません。 無尽蔵のスタミナがあるのか!と思わせるハードワーク! フェアプレイ精神にあふれ、ファイティング・スピリットも兼ね備えていた。 ディルク・カイトがリバプールへやって来た当時の監督はラ

                            あれから14年 ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとなった日
                          • 7年前の今日 ジョルジニオ・ワイナルドゥムがリバプールの一員になった日

                            7月22日シリーズになってしまいました。 リバプールが、プレミアリーグで初優勝を飾った日であり、ディルク・カイトの誕生日。 もうひとつ私は書いておきたいことがあります。 ディルク・カイトと同じくオランダ出身のジョルジニオ・ワイナルドゥムのことです。 7年前の今日、2016年7月22日には、ジョルジニオ・ワイナルドゥムがリバプールに加わることが決まったものです。 ジニの愛称でコップから愛された選手でした。 とにかくスタミナがあって、その稼働率たるや驚愕すべきものがありました。 怪我が少なかったこともジニの特徴であり、素晴らしいところですね。 決して派手な選手ではありませんでしたが、強いリバプールを黒子のように支えていたのはジニだったと私は思っています。 ユルゲン・クロップ監督にとって、欠かせないレギュラーですね。 常にハードワークをしてくれますから、周囲のチームメイトはどれだけ助かったことか

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                            • あれから14年 ディルク・カイトがリバプールでの初ゴールを決めた日

                              世界一の働き者。 常に献身的な姿勢でチームを支えてくれたのがディルク・カイト。 ディルク・カイトがリバプールへやって来たのは、2006年のことでした。 今から14年前の出来事ですが、9月20日には、リバプールでの公式戦初ゴールをマークしています。 大きな期待を背負ってフェイエノールトからやって来たオランダ人ストライカー。 私は、今でもあのゴールを憶えていますが、本当に素晴らしいものであり、決まった瞬間には大喜びしたものでした。 ディルク・カイトの初ゴールは、プレミアリーグでのニューカッスル戦で生まれたもので、会場はアンフィールド! リバプールが2-0で勝利を飾っています。 ゴール前に駆け込み、スライディングに近い詰めを見せて、見事なシュートを相手ゴールネットに突き刺しています。 私はその瞬間、ヨハン・クライフを思い出しており、そのことさえも記憶しています。 ディルク・カイトは、ラファ・ベニ

                                あれから14年 ディルク・カイトがリバプールでの初ゴールを決めた日
                              • コーディ・ガクポの獲得をリバプールが公式発表 背番号は18に

                                まず、言いたいと思います。 ようこそ!リバプールへ! コーディ・ガクポのリバプールでの契約期間ですが、2028年までと見られています。 背番号は18! リバプールの18番、オランダ人選手といえば、どうしてもディルク・カイトを思い出す私がいます。 ディルク・カイトは、リバプールで素晴らしい実績を残したし、ぜひコーディ・ガクポにもリバプールのレジェンドになってほしいと思います。 前線であれば、どこでもこなすことが出来るコーディ・ガクポ。 10番の役割も担えるとあって、リバプールにとっては戦術の幅が拡がりそうです。 何より、現在はルイス・ディアスとディオゴ・ジョタが負傷離脱していますので、選手起用の面でも大きな後押しになることでしょう。 コーディ・ガクポは、非常に真面目な選手だと聞いております。 リバプールが補強をする場合には、その人柄、人間性も重視していると聞きます。 きっとコーディ・ガクポも

                                  コーディ・ガクポの獲得をリバプールが公式発表 背番号は18に
                                • 【六月の勝利の歌から20年】2002日韓W杯日本代表メンバー23名のW杯での軌跡と現在を選手名鑑的に作ってみた【Vol.3】 - G・BLUE〜ブログとは名ばかりのものではありますが...ブログ。〜

                                  日韓W杯から20年経ちましたので、当ブログでは只今……只今というか、6月の月間企画的な感じですね。色々あれこれ2002FIFAワールドカップを振り返っております。 前々回からはその歴史的な20周年を記念致しまして、日韓ワールドカップを戦ったメンバーの紹介というか、日韓W杯を中心としたその選手のキャリア、そして現在何をしてらっしゃるか的な事を名鑑みたいな感じでまとめていきたいな…と思い、当時の23名のメンバーを振り返っております。 全4回更新で今回は第3回。月並みな言葉ですが後半戦です。ちょうど20年前に、トルシェジャパンが解散した頃合いでしょうか。 前回までの記事も下記にリンクを置いておりますので、そちらから是非! vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。 ↓ FW13 柳沢敦 生年月日:1977年5月27日 日韓W杯での成

                                    【六月の勝利の歌から20年】2002日韓W杯日本代表メンバー23名のW杯での軌跡と現在を選手名鑑的に作ってみた【Vol.3】 - G・BLUE〜ブログとは名ばかりのものではありますが...ブログ。〜
                                  • あれから13年 ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとなった日

                                    記憶に刻印され、どうにも忘れ難いプレイヤーというものがいるものです。 私にとって、ディルク・カイトこそ、まさにその一人。 働き者のオランダ人、ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとなったのは、13年前の今日、2006年8月18日のことでした。 当時、リバプールを率いていたのはラファ・ベニテス監督。 ディルク・カイトは、監督からの信頼も厚く、本当に重用されていました。 少しは休ませた方がいいのではないか!?と感じるほどに、ディルク・カイトはよく働いてくれました。 また、マンチェスター・ユナイテッド戦やエバートン戦で活躍をする姿もコップのハートをつかんだものです。 大勝負に強いプレイヤーでした。 ディルク・カイトが、リバプールに在籍をしていたのは、2006-2012で、その間における公式戦出場は285試合で、71ゴールを記録しています。 この記録自体も素晴らしいものですが、ディルク・カイト

                                      あれから13年 ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとなった日
                                    • コーディ・ガクポがマンチェスター・ユナイテッドに行かないよう求めたライアン・バベル

                                      現在開催中のワールドカップでは、グループAでの首位通過を決めたオランダ代表。 リバプールとオランダといえば、縁があり、現在もファン・ダイクが代表のキャプテンを務めています。 最近でもジョルジニオ・ワイナルドゥムは勿論、ディルク・カイト、ライアン・バベルなどがレッズのために活躍をしていました。 オランダ代表のOBでもあるライアン・バベルは、ワールドカップで大活躍をし、一躍注目が集まっているコーディ・ガクポに関して、マンチェスター・ユナイテッドへは行かないように強く求めるとしたそうです。 コーディ・ガクポに関しては、リバプールの補強ターゲットの一人と見られており、ワールドカップで活躍するにつれて、他のプレミアリーグ勢も興味を示しているとされていました。 そんな中、ライアン・バベルはThe Athleticに自身の思いを寄せています。 ガクポは、私に感銘を与えてくれる。 彼に、マンチェスター・ユ

                                        コーディ・ガクポがマンチェスター・ユナイテッドに行かないよう求めたライアン・バベル
                                      • 16年前の今日を思い出す ディルク・カイト鮮烈な初ゴール!

                                        ディルク・カイトが、フェイエノールトからリバプールへとやって来たのは2006年のことでした。 当時、よく言われていたことですが、リバプールはずっとディルク・カイトを欲しがっていたそうで、まさに念願の獲得でしたね。 私は、今でもくっきりと覚えているシーンがあります。 それは、ディルク・カイトがリバプールのプレイヤーとして決めた初ゴール。 あの瞬間のことは、絵として記憶しているし、あのとき自分の感情がどう動いたかもしっかりと反芻することができます。 それくらい嬉しかった。 今から16年前の今日、2006年9月20日のこと、ディルク・カイトはリバプールのプレイヤーとしての初ゴールを決めています。 繰り返しになってしまいますが、16年が経っても、私の中で色褪せることはありません。 このゴールですが、プレミアリーグのニューカッスル戦で生まれたもので、会場はアンフィールドでした。 これは、あくまであの

                                          16年前の今日を思い出す ディルク・カイト鮮烈な初ゴール!
                                        • 8年前の今日 ジョルジニオ・ワイナルドゥムがリバプールの一員になった日

                                          驚異的なスタミナを持ち、中盤を中心として、ここにいてほしい!というところには、いつもジニがいた。 黒子の役が出来る選手でもあり、監督にとっては有り難い存在ですよね。 ユルゲン・クロップ監督も、重要な試合ではハードスケジュールだったとしてもジニをメンバーから外しませんでした。 また、ジニの驚愕すべき点はその稼働率です。 本当に怪我が少ない選手でした。 ジニがお休みをした試合って、お腹を壊して痩せてしまった時くらい?の記憶しか私にはありません。 ここ2年間ほどのリバプールを見ていると、怪我が少ない選手がどれだけ重要かを改めて考えさせられます。 ジニがリバプールへやって来たのはニューカッスルからの移籍で、リバプールでは契約満了となる5年間にわたりチームを支え続けました。 当時のことを振り返ると、リバプールがジョルジニオ・ワイナルドゥムに関心を持っているらしいという報道が出て来た時期、ディルク・カ

                                            8年前の今日 ジョルジニオ・ワイナルドゥムがリバプールの一員になった日
                                          • 15年前の今日 ディルク・カイトがリバプール初ゴールを決めた日

                                            ディルク・カイトが、晴れてリバプールのプレイヤーになったのは、2006年夏のことでした。 そのカイトですが、同年9月20日には、リバプールでの初ゴールを記録しています。 あれから15年が経つのですね。 このゴールですが、プレミアリーグのニューカッスル戦で生まれたもので、会場はアンフィールドでした。 ものすごい速さでゴール前に駆け込んだディルク・カイトは、そのままスライディングをするようにして相手ゴールネットに突き刺しています。 スピードに乗った素晴らしいゴールでした。 あのときのことは、今でも脳裏に焼き付いているし、思わず『空飛ぶオランダ人』という言葉を思い出していた自分がいます。 なぜかふと、ヨハン・クライフの姿がオーバーラップして来たことも事実です。 それほど素晴らしいゴールだった。 リバプール在籍中のディルク・カイトは、公式戦285試合に出場し、71ゴールを記録しています。 しかし、

                                              15年前の今日 ディルク・カイトがリバプール初ゴールを決めた日
                                            • あれから17年 ディルク・カイトがリバプールの一員となった日

                                              時の流れとは早いものですね。 つい昨日のことのように思われる出来事が、あっという間に過去へと変わって行きます。 今から17年前の今日、2006年8月18日とは、何の日でしょうか。 ディルク・カイトが、リバプールの一員として加わった日です。 フェイエノールトからの移籍でした。 世の中、物事には絶対はありませんが、例外があったとしてもディルク・カイトを嫌いな人はほとんどいないのではないかと私は思っています。 特に、リバプールファンであれば尚更です。 本当に、素晴らしいプレイヤーでした。 惜しみなく働く姿には、感動さえしたことが明瞭に思い出されます。 また、ディルク・カイトは、どんなポジションを任されても、自分に出来るベストを常に発揮し、いずれも高いレベルで具現することが出来たタレントでもありました。 当時のリバプールを率いていたのは、ラファ・ベニテス監督で、ディルク・カイトのことは数年越しのラ

                                                あれから17年 ディルク・カイトがリバプールの一員となった日
                                              • 南野がエヴァートンとのダービーでスタメン出場 激戦の中で積極的な姿勢を見せる 海外の反応 : つれさか -徒然サッカー雑記-

                                                2020年01月06日02:52 カテゴリ南野拓実海外の反応 南野がエヴァートンとのダービーでスタメン出場 激戦の中で積極的な姿勢を見せる 海外の反応 長年の実績と成長が認められザルツブルクから欧州王者リヴァプールへの移籍をはたした南野。 現在のリヴァプールはリーグ、CL、カップで順風満帆といった快進撃を続けており、プレミアリーグは独走状態で、連覇を狙うCLではグループステージを首位突破、先月のクラブワールドカップでは優勝し、各タイトルの獲得へ向けて好パフォーマンスを見せ続けています。そんなクラブにあって懸念材料となっているのが超過密日程による疲労と怪我で、元々層が厚いチームを更に強化すべく冬市場で獲得したのが「タキ」こと南野となっています。 メディアとファンの両者から注目が集まっている南野ですが、クロップ監督には会見の度に質問が飛んでおり、それに対する返答もかなり丁寧なものとなっているよ

                                                  南野がエヴァートンとのダービーでスタメン出場 激戦の中で積極的な姿勢を見せる 海外の反応 : つれさか -徒然サッカー雑記-
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