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  • 山口県地方史研究・大内義隆の官位に関する一考察① - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    専門外ながら入会させて貰っている山口県地方史学会から会誌「山口県地方史研究第130号」が送られてきたが、今号には私の疑問にも応えてくれる興味ある研究が二つ載せられていた。そのひとつが山口市の西田智洋氏の「大内義隆の官位に関する一考察」である。 戦国期に山口を本拠地にして西中国、北九州一帯に勢力を及ぼした大内氏の実質的な最後の当主・義隆は、天文20年(1551)家臣・陶隆房(晴賢)の謀反、いわゆる「大寧寺の変」で自刃する。 一般的にはこの謀反は義隆の文治派重視、公家好みが武断派家臣一同に見放された結果とされている。 この研究のなかで私にとって新しい知識になったものが二つある。ひとつは義隆が通常考えられないレベルの官位を保持していたとされることである。 今まで大内氏歴代が朝廷の高い官位を与えられていたことは知っていたが、これほどとは思わず驚きである。 「参議従二位行兵部卿兼侍従太宰大弐多々良朝

      山口県地方史研究・大内義隆の官位に関する一考察① - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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