中国庭園 渝華園は広島市の中心地にある庭園で、広島市と中国・重慶市との友好都市提携を記念して、1992年に建設された中国庭園です。現在隣接する中央公園はあたらしいサンフレッチェのスタジアム建設中です。6月中頃に2回行ったのですが、池の水が抜いたままだったのが残念。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。 最近は日曜日にBSで見て、ストーリーを書いてもう一度流れを把握し 土曜日13時5分からの再放送を見る という流れが定着しています。 さて4月3日に放送された第13回「幼なじみの絆」には怪僧文覚や木曽義仲が登場します。第13回「幼なじみの絆」の平均視聴率(世帯)は12.9%(ビデオリサーチ調べ、 関東地区)、前週第12回の13.1%から、0.2ポイントダウンしたものの依然好調です。 では第13回「幼なじみの絆」のあらすじを見ていきます。 (源行家登場するも門前払い) 1182年、鎌倉の源頼朝の御所を、叔父の源行家が訪れました。 行家は、平家との戦での褒美を頼朝に求めます。しかし、この戦では行家が頼朝の異母弟の義円を勝手に巻き込み、結果として義円は戦死します。 ですが行家は、義円を巻き込み死なせたことを反省せず、恩賞を要求します。 頼朝は、叔父の行家に「二度と鎌
アインシュタイン…世界的に有名なこの物理学者でノーベル賞受賞者のこの方は、 何度か日本に来ています。 アインシュタインが九州滞在中に宿泊したホテルが福岡県北九州市門司区のJR門司港駅正面にあります。 明治以降、三井財閥が社交場として使用していた三井倶楽部です。 三井倶楽部の外壁は、木の柱や梁などを骨組みとして外に見せるハーフティンバー形式で縦、横を強調する木部のダークブラウンと白の窓枠とシックな壁色とのコントラストが外観を特徴付けています。 これは英国ではチューダ様式と呼ばれているものです。 1世紀以上前に作られたも尾ですが、今見ても立派です。 この木造2階建の建物には、アインシュタインが1922年(大正11年)に宿泊した2階の部屋が当時の状態で「アインシュタインメモリアルルーム」として展示されています。 (1922年アインシュタイン来日、 北九州では三井倶楽部に宿泊) 世界的な物理学者ア
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月20日、アメリカの兵器産業の要ともいえるデトロイトで黒人を中心とした大規模な暴動が起きます。 この暴動、実は当時、アメリカと戦争をしていた日本の人が関わっていたようです。 デトロイトは自動車産業で栄え、職を求めて多くの人々が移住し1920年(大正14年)頃には全米第4位の人口を誇る大都市に成長します。 (大戦中アメリカの兵器産業の要デトロイト) 1941年(昭和16年)に日米開戦が始まるとデトロイトにある自動車工場はそのまま軍事工場となり太平戦争中の米軍を支えます。 そのデトロイトで黒人を中心に1943年(昭和18年)6月20日暴動が起きます。 暴動は3日間に渡り、最期は軍隊が送り込まれ、死者34人・負傷者600人以上の大惨事を引き起こしました。 (中根という男) この暴動を起こしたといわれるのが日本人・中根中です。 中根は1933年デトロイト
京都の観光地の1つ嵐山を紹介するとき、 よく登場するのが、この橋。 渡月橋、「とげつきょう」です。 (桂川にかかる橋) 渡月橋は、嵯峨野と嵐山を隔てて流れる桂川に架かる橋です。 桂川左岸と、中州である中ノ島公園の間に架かり橋の長さは155m、幅は12.2m。 車道は2車線で、両側に一段高くした歩道があります。 渡月橋は、観光パンフレット、TVニュース、映画やテレビドラマの撮影によく登場 する嵐山を代表するスポットです。 川沿いには館船や川船もあり風流です。 (渡月橋の歴史は古く平安時代) 渡月橋は、平安時代に僧の道昌によって架橋したのが最初と言われています。 その後、現在の位置に角倉了以が架けたとされています。 また現在使われている橋は1934年(昭和9年)6月に完成しました。 この「渡月橋」の命名は、鎌倉時代に亀山上皇が橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述
年末になると必ず話題にあがるのが「忠臣蔵」。 その忠臣蔵で討たれた吉良上野介のお墓があるのが中野区上高田にある萬昌院功運寺。 万昌院功運寺は、もと千代田区永田町にありましたが、1913年(大正2年)現在の 中野区に移りました。 吉良家は、この寺を菩提寺としていました。 このお寺には、吉良家の14代当主義定(よしさだ)・15代当主義弥(よしみつ)・16代当主義冬(よしふゆ)・17代当主義央(よしなか)の4代の墓石・供養塔が建てられています。 一番右が討ち入りで殺害された吉良家17代当主、上野介の墓です。 (名門の家柄) 吉良家は、清和天皇、そして源氏の流れを受け継ぐ名門。鎌倉時代には、足利家から足利宗家継承権をもったまま分家した足利家支流で、「足利将軍家が途絶えた場合は吉良家から次の将軍を出す」と言われた程の名門の家柄。 江戸時代には儀式や典礼を司る役職の高家(こうけ)の筆頭として朝廷と幕府
口は禍の門・・・ それを証明する事件が3月15日に起きました。 (大戦不況と震災のダブルパンチ) 当時の時代背景を見て見ます。 1927年(昭和2年)当時、第一次大戦後の不況と1923年(大正12年)に首都・東京に壊滅的打撃を与えた関東大震災の影響で経済混乱が続いていました。 (鈴木商店台湾銀行に多額の借り入れ) 欧州が戦場となった第一次大戦、日本は、戦争物資を中心に輸出が伸びて、好景気を 迎えます。 この機に急成長したのが鈴木商店でした。 鈴木商店は、第一次世界大戦が勃発すると、大戦の長期化、さらに物不足を予測して、一斉に買いの指令を出し、投機を仕掛け、これが成功し巨万の富を得ます。 1917年(大正6年)には当時の日本のGNPの1割に相当する売り上げを記録し、日本1の総合商社となります。 鈴木商会は、一時は三井・三菱を超え、スエズ運河を通過する船の1割が鈴木商店の船と言われるほどでした
新撰組局長・近藤勇の生家、神社、撥雲館が東京調布市野水にあります!! 近藤勇。。幕末に京都の警護をした新撰組の局長です。 【近藤勇の生家の看板より】 近藤勇は、江戸時代末期の1834年、現在の東京都調布市野水に生まれます。 その後、近藤家に養子入りし近藤勇と改名しました。 (生家跡地) 当時の生家があったころは、生家跡地として残されています。 生家跡地は、調布市の野川公園の駐車場入口のすぐ近く、人見街道沿いにあります。 当時の生家の写真は、看板に残されています。 【近藤勇の生家の看板より】 生家は、当時は7千平方メートルという広大な広さを持つ屋敷で母屋、蔵屋敷、文庫蔵、乾燥納屋、地下蔵、農具入納屋などがあり周囲はケヤキやカシ、竹が茂っていた そうです。 近藤が使用したという井戸も残されています。1943年(昭和18年)まで使用されていたそうです。 【近藤勇生家の看板】 (新撰組局長) 近藤
太平洋戦争中の3月2日、 日本海軍は、戦闘海域でありながら 沈没し海上に漂う敵国の兵士たちを救助します。 さらに「あなたたちはゲストです」と 手厚くもてなします。これぞ武士道です。 (スラバヤ沖海戦) 開戦の翌年、1942(昭和17)年2月27日、ジャワ島北方のスラバヤ沖海戦が始まります。この海戦は日本海軍と英米蘭の連合部隊の戦いで、日本軍は圧勝し、連合部隊側は艦船15隻中11隻を失います。 下の写真は日本軍の攻撃を受けるイギリスの巡洋艦エクセターです。 日本軍に撃沈された英海軍の巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」の乗組員四百数十名が漂流を続けます。 3月2日、そこに偶然、駆逐艦「雷」(いかずち)が通りかかります。 (敵兵を救助せよ) 海上に漂う多数の英兵を発見した駆逐艦「雷」は、即座に「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、乗組員は、縄ばしごやロープ、救命浮標などで、救助にあたりま
戦国時代、織田信長の城下町として栄えた滋賀県の安土。現在、安土駅南口には、近代相撲発祥の地を記念して、 白御影石で作られた2人の力士が取り組みをしている石像が設置されています。 (相撲好きの信長) 信長の相撲好きは有名らしく、当時、日本に来日していたカトリック教徒のルイス・フロイスが「日本史」という自信の書物に、「信長は身分の上下に関わらず裸の男たちを競い合わせる趣味があった」と記しています。これ相撲の事ですね。 そして、信長の人生を記した信長公記には、信長の相撲好きがより詳しく書かれています。 それによると「室町時代後期の1570年、3月3日、織田信長は近江国中から相撲取りを集めます。そして常楽寺で相撲を取らせました。」とあります。 信長は、元亀元(1570)年から天正9(1581)年までの間、安土の常楽寺や安土城で 相撲大会を開催しています。そこで勝った者を家臣として召し抱えることもあ
都心から手軽に行ける温泉地・熱海は、 古くから温泉地として人々に親しまれています。 色々な割引を活用し安く熱海に行く方法を紹介! (宿泊+往復新幹線パックが1番安い!) 品川から熱海のJRの運賃ですが、2021年(令和3年)10月現在は 快速アクティーを使う場合は、所要時間は1時間半程度、片道料金は1980円です。 新幹線を使うなら所要時間40分程度、片道料金は3740円です。 6枚つづりの新幹線回数券を利用する場合、1枚当たりの料金は3390円になります。 東海道新幹線ネット予約サービス「スマートEX」の「こだまファミリー早特商品」 に東京・品川〜熱海間があり、これだと大人3300円、こども1650円です。 ★かつてあった「新幹線お出かけきっぷ」は終了!! かつては、東京・品川〜熱海間の特別企画乗車券「新幹線お出かけきっぷ(往復)」があり往復5450円、片道2725円でした。 しかし、2
1935年(昭和10年)忠犬ハチ公が死亡します。 (ハチ公とは) JR渋谷駅に銅像があり、待ち合わせのスポットとして有名なハチ公。 ハチ公は、戦前に実在した秋田犬です。 亡くなった大学教授の飼い主の帰りを11年間、東京の渋谷駅で待ち続けたハチという名前の犬で、ハチ公の愛称で呼ばれていました。 (ハチ公ストーリー) ハチ公の飼い主は、日本で初めて農業工学教授となった東京帝大(現東大農学部)の 上野栄三郎博士です。 上野博士が生きていた頃は、ハチ公は、上野博士が外出するときは玄関や門の前で見送ったり、帰宅時は渋谷駅まで送り迎えに行くのが日課だったそうです。 1925年(大正14年)、上野博士は、職場で脳溢血が原因で倒れ急死してしますが、 ハチ公は上野博士が亡くなった日も、ジョンとエスという一緒に飼われていた2匹の犬とともに渋谷駅まで上野博士を迎えに行っていました。 先生の死後、ハチ公は、転々と
おっさんが12月1日(水)夜、仕事で福岡市を訪れたときに福岡県福岡市中央区にある大濠公園を通りましたら、公園が鮮やかなイルミネーションに彩られていました。 これは「大濠公園ウィンターイルミネーション」というイベントで、2021年(令和3年)12月1日(水)~2022年(令和4年)1月31日(月)まで毎日17:00~22:00点灯しています。約4万5千の電球が使われています。 ライトアップされる場所は、中央入口正面の三角の樹木帯と観月橋から中の島浮見堂 付近です。 電球の美しさにくわえ、水面にうつる灯りもいいです。 (大濠公園とは) 大濠公園は、福岡市中央区にある福岡県営の都市公園(総合公園)で国の登録記念物となっています。 大濠公園は、もともとは場所一帯は草ヶ江と呼ばれる旗湾につながる入り江でした。 そして福岡藩の初代藩主となった黒田長政により、入り江の一部が埋め立てられ 福岡城の外堀とな
鶴岡八幡宮は、鎌倉初代将軍・源頼朝ゆかりの神社で源氏および鎌倉武士の守護神。 鎌倉八幡宮とも呼ばれていて、鎌倉の観光では、はずせない場所です。 大石段、蓮に覆われた源平池、太鼓橋、上からの眺めなど 見どころ満載です。 (静御前が舞を披露) 1186年、源義経の妾で、京都一番の白拍子と名高い静御前が捕らわれ鎌倉に送られてきます。 そして4月8日、ここ鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露しています。 この時、静御前は、義経の子供を身ごもっていて、その後、出産しますが男の子と言うことですぐに殺害されます。 そして、 鎌倉を離れ京都へと淋しく戻されます。 (倒壊した隠れ銀杏。そこに若木が・・) 鶴岡八幡宮のシンボルの1つが隠れ銀杏でした。 1219年1月27日、頼朝の長男・頼家の子の公暁が、鶴岡八幡宮の大階段の横にある大きな銀杏の木に隠れて待ち伏せ、大階段を降りてきた3代将軍・源実朝を殺害したという
1958年(昭和33年)の12月23日、 東京・芝公園に東京タワーが完成し完工式が行われました。 東京タワー。 1958年(昭和33年)12月23日に竣工し開業した展望台。 TVとFMの電波塔、科学館からなる塔で「東京のシンボルの1つ」として 親しまれています。 昭和33年に完成した高さ333mの電波塔です。 3という数字が並んでいますね。 (材料は戦車) 東京タワーには米軍の戦車90台が建材として使われているそうです。 というのは、東京タワーが作られる前に朝鮮半島では朝鮮戦争があり、 そのときに使用した戦車は、アメリカ本土まで持って帰るのには コストがかかり大変なので、それを日本に売り、溶かして 東京タワーの建材にしています。 戦車は敵の射撃を受けても壊れないくらい頑丈なので、 建材としてもとても質が良いということでしょうか。 (歩いても登れます) 東京タワーの展望台へは、エレベーターを
(盧溝橋事件を報じた当時の東京朝日新聞:「北平」は今の北京) 盧溝橋は中国の北京南西の郊外およそ18キロにある石の橋です。おっさんも中国に行ったときに訪れたことがありますが、立派な石の橋でした。 入り口には、石でできた立派な獅子がいました。 「東方見聞録」を書いたマルコポーロが、かつてこの地を訪れ、この橋が世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さと「東方見聞録」に記しています。 さて、その盧溝橋で、1937年(昭和12年)7月7日に軍事演習をしていた華北駐屯日本軍一木大隊の中隊と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件がおきました。 よく考えると、よその国の中国大陸で日本の陸軍が、どうして駐屯し軍事演習をしていたか疑問を抱く人がいるかもしれませんが、当時の中国大陸は、統一国家という状況ではなく、各地に軍閥が支配をしていた状況でした。 さて、この盧溝橋事件は、「銃声が聞こえた」「中国軍
日清食品が販売している「どん兵衛・きつねうどん」、皆さんも食べたことがあると 思いますが、実は西日本と東日本では味が違います!! そこで、おっさんは、西日本地区に出張に行くついでに、 地元のスーパーで「どん兵衛」を購入し、東京で売っている物と食べ比べをしました。 (西日本で販売している「どん兵衛」と 東日本で販売している「どん兵衛」) それでは、西日本で販売している「どん兵衛」と東日本で販売している「どん兵衛」を比較して見ます。 下の写真で左が西日本で販売している「どん兵衛」、右が東日本で販売している「どん兵衛」です。見た目は同じようで、ほとんど区別がつきません。 でも、よーーく見ると、パッケージ右部分のお箸の下にある緑の野菜??の写真が微妙に違います。 西日本で販売している「どん兵衛」と東日本で販売している「どん兵衛の見分け方は、2つあります。 フタとパッケージの側面に書かれたローマ字で
終戦の1週間前、1945年(昭和20年)8月8日、日本有数の工業都市の福岡県・八幡は大空襲にあい、焼け野原、多くの犠牲者を出します。 その八幡大空襲の慰霊碑がJR八幡駅近くに建てられています。 (日本の重工業をけん引してきた八幡製鉄所) 九州・福岡県北九州市にある八幡製鉄所。 日本の近代化をけん引してきた官営八幡製鉄所がありました。 【八幡製鉄所について書いたブログはここ】 日本の重工業の中心地であるため八幡製鉄所は、太平洋戦争中は米軍の攻撃目標に なりました。 1944年(昭和19年)B29による日本本土初空襲も八幡製鉄所でした。 また、B29を体当たりで撃墜したのも八幡の空襲の時でした。 【体当たりでB29を撃墜したときのブログはここ】 (小伊藤山公園) JR八幡駅徒歩5分の地に小伊藤山公園があります。 (小伊藤山防空壕) この地一帯は、高さ50メートルほどの小高い山で小伊藤山と呼ばれ
姪っ子と清澄白河へ行ってきました。 初めて行く場所です。おしゃれなカフェがたくさんあるらしいので、行ってみたいカフェを2つ選んで、他は決めずにブラブラしようという計画でした。 ただ行ってみてわかったのは・・この界隈はお店が軒を連ねてずっと続くというところではなく、静かな住宅街の所々におしゃれなお店があるという感じのところです。 目的もなく歩いていたので、お店にもあまり行き当たらず、ただ歩くだけで疲れてしまいました。なので、早めに切り上げとなりました。 それでも目的のカフェで美味しいものを食べて、緑の公園で森林浴?をして心がリフレッシュされる楽しい一日でした。 この日のルートは 清澄白河駅〜iki ESPRESSO(カフェ)〜隅田川沿い〜清澄庭園〜HAGAN ORGANIC COFFEE(フルーツサンド)〜木場駅 まずは隅田川沿い〜清澄庭園を振り返ります。 人の多さを心配して早い時間に出発。
国立印刷局(https://www.npb.go.jp/ja/museum/tenji/gallery/dajoukan.html)を加工して作成 1868年(慶應4年)4月19日、 明治政府が太政官布告により 「通用向こう13か年」の官札が発行を布告し 5月15日から発行します。 この官札は、日本で初めて国が発行した紙幣に なります。 太政官札は、明治政府によって慶応4年5月(1868年)から明治2年5月(1869年)まで発行された政府紙幣で不換紙幣です。 金札とも呼ばれました。 これは、日本で最初の国家紙幣と言われ十両、五両、一両、一分、一朱の5種からなります。 当時は、通貨単位は、まだ「円」ではなく江戸時代と同じく両、分、朱のままでした。 (由利公正の発案) お金は、江戸時代までは、金、銀などの硬貨が主流で紙幣はそれぞれの大名が所有する領国で発行し流通していました。つまり各藩内でバラ
夏の夕暮れの神社の境内に浮かび上がる ぼんぼりの灯り・・。 幻想的な空間を醸しだしています。 福岡市にある護国神社で、2021年(令和3年)8月16日(月)に行われた「みたままつり」です。 「みたままつり」は全国の護国神社で行われていますが、福岡県の護国神社では ちょうどお盆の時期にあたる毎年8月13日から16日の4日間行われています。 おっさんは2021年(令和3年)8月16日(月)の夕方6時半過ぎにタイミングよく福岡市中央区にある福岡縣護国神社付近を通ったので、みたままつりを見てきました。 みたままつり・・・。 境内に飾られたぼんぼりが綺麗です。 期間中は、福岡縣護国神社の広い境内が約6,000灯のぼんぼりで埋めつくされます。 (ぼんぼりを寄進した団体) ぼんぼりの多くは、戦没者の遺族や関係者からの献灯です。 よーく見るとぼんぼりには、「英霊感謝」の文字と一緒に「陸士」や「遺族連合会」
7月6日、ユネスコが、 「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳)を含む全49基で構成される大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」を 世界文化遺産に認定しました。 2019年(令和元年)アゼルバイジャンで開催されていた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、7月6日、日本が推薦していた大阪市にある「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」を世界文化遺産に登録することを決めました。 世界文化遺産に登録されたのは、墳墓としては世界最大級の全長486メートルを誇る前方後円墳の大山古墳(仁徳天皇陵)など百舌鳥地域(堺市)の23基と、全長425メートルの誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神天皇陵)など古市地域(羽曳野市、藤井寺市)の26基をあわせた合計49基。 古墳群は、4世紀後半~5世紀後半にかけての古墳時代の最盛期に建設されたもので、 当時の政治や文化の中心地の一つだった大阪府南部地域に築かれ
東京都議会選挙を翌日に控えた2021年(令和3年)7月3日(土)に、東京墨田区の隅田川沿いを歩いていたら、鮮やかな黄色い車を発見しました。 東京都議会選挙の投票を呼び掛けているようです。 正面から見ると・・・。 後ろから見ると・・・。 車のボディに描かれているイラストは、パンダめいすいくんです パンダめいすいくんは、 明るい選挙のイメージキャラクター「めいすいくん」の パンダバージョンです。 (めいすいくんとは・・) めいすいくんは、2000年(平成12年)4月に選挙への参加や違反の防止などを呼びかける「明るい選挙推進運動」を進める公益財団法人:明るい選挙推進協会が制作した イメージキャラクターです。 名前の「めいすい」は、「明るい選挙推進運動」の「明」と「推」を引用しています。 めいすいくんの姿は、投票箱をモチーフとしています。 頭部にある2本の線は投票用紙挿入口を表しています。 そして
4月25日は、 1961年(昭和36年)に大阪環状線が完成した日です。 東京には都市の中心部を周る山手線と言う環状線がありますが、同じような環状線が 大阪にもあります。大阪環状線です。 大阪環状線は、大阪市内をぐるりと一周する大阪環状線。 大阪市北区にある大阪駅- 西九条駅 - 天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間を環状に結び大阪市内を一周する西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線です。 下の路線図をご覧ください。立派な環状です。 全長21.7km、駅数は19駅。40分で1周します。 ちなみに山手線は1周34.5kmで約1時間で1周します。 また大阪の環状線は、快速や特急が多く、列車によっては通過する駅が存在します。 (大阪環状線は2021年で開業60年!) この大阪環状線は、1961年(昭和36年)4月25日に環状線として開業します。 線路が環状になり、現在の路線名になってから、2021年
(伊根湾に面した伊根町) 日本海に通じる丹後半島の西北端にある伊根湾。古くから漁業が盛んな湾です。 ここにある京都府与謝郡伊根町(いねちょう)には舟屋があります。 舟屋は、海に面して建てられた独特の建物の事です。 写真のように1階が舟屋とよばれる舟用のガレージ、2階が居住空間になっています。 (伊根浦地区) 舟屋が固まって見れるのが伊根浦地区です。 両側に舟屋の集落を見ることができます。 (江戸時代から続く舟屋) 舟屋は江戸時代から続き、現在は、およそ230世帯の舟屋が残されています。 伊根浦地区には、伊根町教育委員会が建てた案内板があり、そこには古い写真が掲載 されていました。 舟屋の集落にかかる橋の欄干の模様もご覧の通り。 舟屋郡の近くには駐車場があります。 ここに車を止めれば歩いて舟屋を見て回ることができます。 最初の30分が無料というのがいいですね。 駐車場の隣には、観光案内所があ
またまた、謎のメールが来ました。 【見逃していませんか?】セブン銀行ATMからお引き出しが可能です と題したメールです。 【実際届いたメール全文】 …なんともシンプル。 しかし差出人が書かれておらず不明。 いったい誰からのメール?? メールには、 「新規登録で3万円分無料プレゼント」とありますが、何のプレゼントなのかもわかりません。 セブンイレブンで使うナナコのポイントでしょうか? それとも商品券なんでしょか? ・・・これ限りなく怪しいですね。 普通に考えれば、 名前も名乗らない見知らぬ人が3万円分くれますか? それもATM経由?? 【実際届いたメール】 この文章、よく考えると実におかしいですよね、 「ご新規登録で3万円分無料プレゼント中」と書いていますが、すぐ下には 「お引き出し方法」とあります。 引き出すなら現金ですよね、でも3万円分となると現金ではないですよね。 現金なら「3万円」と
11月15日は、 坂本龍馬が1867年に京都で暗殺された日です。 大政奉還が行われたわずか1カ月後で、坂本龍馬33回目の誕生日にあたる 1867年11月15日に、坂本龍馬は京都で暗殺されます。 (坂本龍馬とは・・) 坂本龍馬は、幕末の土佐藩脱藩浪人で維新の立役者。 貿易会社で日本初の総合商社である亀山社中、のちの海援隊を創設。 当時、対立していた薩摩藩と長州藩を結び付けて薩長同盟を締結させ、 討幕運動を仕掛けた人で、大政奉還をも演出した人です。 (龍馬、誕生日に暗殺される!) 坂本龍馬は、1867年11月15日、京都にある隠れ家・酢屋から歩いて数分の地にある 近江屋という醤油屋の2階で中岡慎太郎と会っていました。 そこを突然襲撃され、龍馬の身の回りの世話をしていた元力士で用心棒の山田藤吉を 含めた3人が暗殺されました。 (ちなみに最初に斬られたのが山田藤吉です) 龍馬たちが襲われた場所は、
旅行や出張ついでにちょこちょこ全国の史跡巡りをしています。 仕事ではいつも「地形」関係の地図を見ています。 そこで、訪ねたところの写真と地形の地図を整理してみることにしました。
長い天皇家の歴史の中で2度天皇になった(重祚をした)天皇が2人います。 その重祚をした最初の天皇が、皇極天皇=斉明天皇です。 また斉明天皇は、推古天皇以来の女帝でもあります。 その斉明天皇が崩御したのが7月24日、しかも九州での崩御です。 (斉明天皇とは) 斉明天皇は、史上初の2度天皇になった女帝で、第 34代舒明天皇の皇后であり、 中大兄皇子(のち天智天皇) と,大海人皇子 (のち天武天皇) のお母さんです。 夫で第 34代舒明天皇がなくなると第35代皇極天皇として在位します(在位:642年- 645年)。 そして、645年、乙巳の変で蘇我氏本家が滅亡すると皇位を弟の軽皇子 (孝徳天皇) に 譲ります。 しかし孝徳天皇が没すると,飛鳥の地で重祚して第 37代斉明天皇となります。 第37代斉明天皇は在位期間が655年-661年です。 斉明天皇は、唐・新羅連合の攻撃に苦しむ百済の要請を受け、
12月31日年末ジャンボ宝くじの抽選がありました。 (ジャンボ宝くじ1枚買い作戦実行中) おっさんはジャンボ宝くじを毎年購入しています。 しかも いつものように1枚買いです。 今回、おっさんが購入した年末ジャンボ宝くじはこれです。 160組155115 これをゴロあわせすると 1番だ!GO!GO!いいことあるぞ!! 1 5 5 115 なんと素晴らしい語呂合わせ!これは期待大!! (1等は7億円!!) 今回、1等7億円が22本あります!!まあ、7億円は無理としても 5等の1万円は132万本、6等の3000円は44万本です。。。。このへんが狙い目かな・・ (さて、結果は!!?? 年末ジャンボ抽選会生中継開始!!) さて、年末ジャンボの生中継はお昼12時45分からNHK総合テレビで始まりました。 もちろん、おっさんは、年末ジャンボ宝くじを用意しTVの前に陣取りました。 さあ、抽選が始まり
おっさんが1度は行きたいなあと思っていた城、 織田信長が標高199mの安土山に築城した安土城です。 (安土が選ばれたのは・・・) 信長が安土を選んだのは、水の利と地の利だと考えられています。 当時の琵琶湖はまだ干拓が進んでおらず、現在よりも広く安土城が琵琶湖に突き出す形になっていたそうです。 そのため琵琶湖の水運を利用して京都に出るのに便利で、中山道や北陸道にも通じていた好立地の場所でした。 (いざ、安土城に!!) 安土城は、JR安土駅から北東に30分くらい歩いた場所にあります。 安土城は織田信長が1576年から約3年かけて完成させました。しかし信長が倒れた本能寺の変後、焼失して今は石垣だけが残っています。 (安土城に登る前に・・) 安土城は上まで行くのに結構、山道を歩きます。石段が続く大手道から登っていきますが、戻ってくるまでだいたい1時間から1時間半くらいかかります。 安土城跡にはトイ
6月19日は「元号の日」です。 645年(大化元年)のこの日、蘇我氏を倒した中大兄皇子(後の天智天皇)が、日本初の元号「大化(たいか)」を制定します。 (日本初の元号「大化」) 飛鳥時代の645年、乙巳の変で蘇我氏本家を滅亡させ孝徳天皇が即位すると、 その年の6月19日にこの年を大化元年と定めます。 これが現在の「令和」に続く日本の年号のスタートです。 日本初の年号となる645年の「大化」以後、今まで1400年近く年号が続いています。 最初の年号の「大化」は、5年後の650年(大化6年)2月15日に「白雉(はくち・びゃくち・しらきぎす)」に改元されます、 改元の理由は、孝徳天皇が崩御したわけでも譲位したわけでもありません。 穴戸国(あなとのくに、後の長門の国)から朝廷に白雉(しろきぎす、白いキジ)が 献上されたことによります。 明治以前は、このような理由で簡単に年号が変更になっていました。
中野坂上のビルの前にある巨大な円形の石から、 地元の歴史わかる! 中野坂上駅から青梅街道を少し新宿側に行った場所に、大きな円形状の石があります。 「車輪?」「オブジェ??」 実はこれ石臼です。 おっさんが横に立つとその大きさがわかると思います。 直径2メートルの大きな石臼です。 石臼??なぜ石臼がここに??・・そう思いますよね。 この石臼から、中野坂上の歴史がわかるんですよ。 江戸時代、この石臼で製粉が盛んに行われていました。 石臼その当時に実際に使われていたもので、その名残です。 (蕎麦の生産地・中野) 中野は江戸時代、神田川の水車を利用した製粉業が盛んで、そこで作った蕎麦は江戸、特に日本橋周辺に送られていました。 その供給地として中野は、江戸時代は、蕎麦の一大生産地だったのです。 記録によると、大正時代には6社が製粉業を営んでいたそうです。 その1社が、この石臼が置かれている石森製粉と
オートバイでのアメリカを旅すると、国のスケールに驚く体験ができる。なにもかもが大きく、身体に触れるように押し寄せてくるのだ。その筆頭は大自然の雄大な景色である。荒野や砂漠は果てしなく続き、延々と連なる山や谷は深く壮大である。そして、すれ違う大きなトレーラー、長く連結された鉄道列車など目に飛び込むものすべてが巨大である。 自分ひとりの旅では選択から漏れてしまっていたであろう巨大なクレーター見学、朝晩2回のグランドキャニオン詣で、そして英国首相チャーチルの出生を知った小さな郷土資料館、これらはフリーダムアメリカ社の魅力的なツーリングツアーのおかげで出会った貴重な旅の経験である。 ● アメリカを走る楽しさ ● 圧巻だった景色の数々 ● 廃坑の町 ジェロームで出会った英国首相チャーチルの史跡 ● アメリカを走る楽しさ アメリカの都市は何度か訪れたことはあったが、田舎の町や村を訪ねるのは、このフリー
2月20日は「歌舞伎発祥の日」です。 江戸時代初期の1607(慶長12)年のこの日、出雲阿国が江戸城で初代将軍の徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露しました。 それを記念して「歌舞伎発祥の日」となっています。 出雲 阿国(いずもの おくに)は、女性で「かぶき踊り」を創始した人で、このかぶき踊りが現在の歌舞伎になったと言われています。 出雲阿国の歌舞伎踊りは、やがて江戸を中心に大人気となります。 1624年(寛永元年)に初代中村勘三郎が日本橋と京橋の中間にある中橋南地で 櫓(やぐら)を建て「猿若座」を起こしたことから、江戸歌舞伎が始まります。「猿若座」は、その後、「中村座」に改称されますが、観客を呼びこむために櫓(やぐら)で叩く太鼓の音が、江戸城の武士たちが登城するときの合図である櫓太鼓と似ていて混乱するという理由で、堺町(今の人形町)へと移転します。 江戸時代当時は、今と違い娯
買い物でもらうレシート。 今まで、ゴミ箱に直行していた単なる紙屑のレシートを 撮影するだけでキャッシュバックするアプリがあるので 「本当に儲かるのか」、さらに「どれくらいもうかるのかやってみよう!」ということで、ONEとレシーカの2つを1年間やってみました。 レシートを撮影して、ポイントやお金を貯めるアプリは色々ありますが、 商品指定などの制約があるものがあり、それは面倒くさいので、 おっさんは、どんなレシートでも撮影してもOKのラクチン作業の 「ONE」と「レシーカ」の2つを利用しています。 (1年間レシートを撮影して3038円獲得) では1年間レシートを撮影して獲得した金額です。 まず「ONE」が1888円、 「レシーカ」が1150円です。 これはTポイントでもらえます。Tポイントは1ポイント1円として利用できます。 「なーんだ、たったこれだけの金額??」と思う人もいるかもしれませんが
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