前回に引き続き、一九三三年二月二十四日に開かれた国際連盟特別総会に於ける、報告書草案採決直前の松岡の最後の演説の紹介を続けることしたい。 国際連盟の満州認識について 松岡はリットン報告書における満州理解の誤りについて以下のように述べている。 永年にわたって「支那人」なる人種的称呼は、日本人をも含めて、特に外国人の間において、支那帝国の大部分の人民に適用されて来た。しかしながらこの曖昧な表現は満洲人と蒙古人、あるいは支那本土の住民をもこれに含めて、全部が単一の人種であることを意味するものと解釈してはならないのである。 満洲国民の大部分は支那国民とは明確に相違している。北部支那の人民即ち近年において数百万人も山東、河北両省から満洲に移住した人民すら、他の支那諸省の人民とは著しく異なり、揚子江沿岸の人民とも異なり、南方支那の人民とは尚更なおさら相違し、西部支那の人民とは殊に全然相違している。それ