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岡倉天心の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 「ある色川大吉考――「昭和」との格闘(後編)」日本女子大学名誉教授・成田 龍一 | 特集/

    ある色川大吉考──「昭和」との格闘(後編) みずからの主体を現わしつつ歴史に向き合い、そのことによって、歴史の主体としての「民衆」を描き出す歴史を提供 3.方向選択と総括 (1)柳田国男の方向へ 色川自身は1985年ころと認識しているが、みずからその歴史学―「歴史叙述」を転換させていく。色川にあった、AとBとを接合するあらたな方法と叙述を試みる営みと言い得る。入口となるのは、柳田国男であった。「戦後歴史学」を経て来た歴史家たちは、敏感な歴史家であるほど、ある段階で柳田に入り込む傾向がみられる。色川も例外ではなく、『柳田国男』(講談社、1978年)を著し、柳田国男との格闘をおこなう。「日本民俗文化大系」の第一巻であり、居並ぶ民俗学者たちに加わっての「柳田国男」の執筆であり、色川の意気込みが感じられる。 すでに色川は、戦時期に柳田を読んでいたが、柳田と日本浪漫派は「その情緒」がほとんどかわらず

    • 企画展「Beautiful Foolishness~遊びをせんとや生まれけむ」開催のおしらせ | 藝大アートプラザ

      東京藝術大学美術学部の前身である東京美術学校の校長を務めた岡倉天心は著書「The Book of Tea(茶の本)」の第一章をこんな言葉で終えています。 ”Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things” (しばしの間はかなさを夢見ようではないか。そして物事の美しい愚かさに身をゆだねようではないか) ”foolishness”という言葉は通常否定的な意味でしか使われません。その言葉を”beautifull”と形容することによって、天心は功利的には役に立たないことやものに、あるいは、社会の文脈や関係性から解き放たれた一見無価値な存在に対して、最大の賛辞を送っているように見えます。 また、日本におけるポップの帝王ともいえる後白河法皇が編んだ「梁塵秘抄」には「遊びをせんとや生まれけむ戯れ

        企画展「Beautiful Foolishness~遊びをせんとや生まれけむ」開催のおしらせ | 藝大アートプラザ
      • 美術を通した近代史 / 角田塾読書会文献記録 / アンソロジー海賊版計画

        □ □ □ □ Jean-Paul Sartre from ' Existentialism and Humanism '(1946)。 Jean Dubuffet ' Notes for the Well-Letterd '(1946)。 Lucio Fontana ' The White Manifesto '(1946)。 松本竣介『全日本美術家に諮る』(1946)。 Jakson Pollock ' Two Statements 1947 and 1947/8 '(1947-1948)。 Mark Rothko ' The Romantics were Prompted ... '(1947)。 Mark Rothko ' Statement '(1947)。 Adolph Gottlieb ' Statement '(1947)。 Barnett Newman ' The Ide

          美術を通した近代史 / 角田塾読書会文献記録 / アンソロジー海賊版計画
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