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川田甕江 意味の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 大正天皇のこと ~修善寺温泉(伊豆市)

    先週、秋の深まる中、修善寺温泉街の紅葉はどうなっているだろうかと気になっていたので行ってみることにしました。案の定、紅葉まっさかりで、いつもは閑静な温泉街も多くの観光客で賑わっていました。 こんなに紅葉がきれいなときに温泉街に足を踏み入れるのは初めてです。もともとひなびてしっとりとした落ち着きのある温泉街の中にあって、各所に植えてある鮮やかな紅葉はより引き立ってみえ、なかなか良い風情です。 町の中心にある修禅寺の中にも足を踏み入れてみましたが、ここの紅葉もまた見応えがありました。ふと、お堂のほうをみると、お寺の係?の方が何やら呼び込みをしています。なんだろうなと、思って近寄ってみると、どうやらお寺の本堂の右手にある方丈(離れ)の庭を特別公開しているので、いかがですか、と言っているようです。 聞くと、一年に一度しか公開していないそうで、正式名称は「東海第一園」というのだとか。明治40年に大正

      大正天皇のこと ~修善寺温泉(伊豆市)
    • 『十五 三島中洲、藤森天山、小永井岳、巌谷一六、川田甕江らと千葉県旧市原郡の文人たちとの交流(五)』

      旧新生村佐久間邸(『千葉県博覧図』二六七) 石川龍山墓碑 今では狭いところに押し込まれてしまっているため、碑文が読めなくなってしまっている この度、旧市原郡新生村の大素封家佐久間家の文化史的意味について書きましたので、ご紹介させて下さい。今回は驚くべき発見がありました。 まず、当家は旧田原藩家老の弟を世話することで、地域の教育にも貢献していたらしいことがわかったことです。この人物は石川龍山といい、その兄鷹見星皐は同藩家老を務めていたと同時に、私塾も営み、そこからは何と佐藤一斎、渡辺華山ら錚々たる人物たちが出ています。この石川龍山については、いまでは、その墓石が市原市新生祐巌寺の共同墓地のなかに残っているばかりなのですが、これは注目すべきことだと思います。その墓碑の全訳も掲載しました。 次に、明治十九年三月、旧市原郡今富村の千葉禎太郎により、三島中洲が同郡に招かれた際、三島は当家にも寄ってい

        『十五 三島中洲、藤森天山、小永井岳、巌谷一六、川田甕江らと千葉県旧市原郡の文人たちとの交流(五)』
      • ✨激動の大正時代と大正天皇 - AKOAKO’s diary

        ★激動の大正時代と大正天皇 大正天皇は、1879年(明治12年)8月31日、明治天皇の第三皇子としてお生まれになった。先に生まれた皇子はともに夭折しており、前回、出生の背景で書いたように、 明治天皇と皇后美子との間には皇子女がおらず、明治天皇と複数の側室との間に誕生した弟宮の全員と妹宮のほとんどが相次いで薨去しており、大正天皇のほかに男児はなく、事実上の皇太子となった。 生母は典侍・柳原愛子。明宮嘉仁(はるのみや・よしひと)と命名された。 大正天皇は、生来健康に恵まれず、生まれてから年が明けるまで重度な病気を患ったとされる。侍医の浅田宗伯によると「御分娩あらせられた時に湿疹を認めた」..と記録されている。 誕生の翌年には、皇室の風習により、中山忠能の屋敷に里子に出され。 1887年..8歳の誕生日の時に儲君となり、同時に皇后・一条美子の養子となった。 (儲君は皇后の実子とされる慣例があった

          ✨激動の大正時代と大正天皇 - AKOAKO’s diary
        • 至誠惻怛(しせいそくだつ) - らいちゃんの家庭菜園日記

          現役時代の同期30名が集合した先日の同期会では、司会者の求めに応じて、詩吟を披露する人や、ハーモニカ演奏をする人、第46回政経文化画人展で「芸術議員連盟副会長賞」を受賞したW君の絵画の話、陶芸で個展を開いたM君など、リタイア後の同期諸君の活動状況が紹介されました。 そのような中で、独身時時代に寮で相部屋だったO君が「至誠惻怛(しせいそくだつ)」と言う四文字熟語を披露してくれました。 「至誠惻怛(しせいそくだつ)」という熟語は初めて聞く言葉だったので調べてみました。 この言葉は河井継之助が幕末期の儒家・陽明学者のひとりである山田方谷(やまだほうこく)に師事した際、方谷から贈られた王陽明(1472-1529年)の一節だそうです。 ・山田方谷です(ネットより) 「至誠惻怛」 「至誠惻怛(しせいそくだつ)」の「至誠」は極めて誠実なことで真心を意味し、「惻怛」というのは痛み悲しむ心の意味です。 即ち

            至誠惻怛(しせいそくだつ) - らいちゃんの家庭菜園日記
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