まだ日露戦争が起こる前、すなわち明治の中葉期。東京の名所・旧跡は、多く富者の私有であった。 御殿山の桜林は山尾子爵の、 品川海晏寺は岩倉家の、 関口芭蕉庵は田中子爵の、 まだまだ他にも、向島小松島遊園なぞも――とかくそれぞれ有力者らの掌中に帰した状態だった。 (芝公園の梅) 既に私有地である以上、一般人の立ち入りを禁止するのは勿論である。 『報知新聞』はその状況を憂いている。憂いて、人心の統御上、経世上よろしからぬと切言し、行政の出動を請うている。東京市の財と力で、よろしくこれら私有地を買い上げ、大衆向けに広く公開すべきである、と。 「東京市たるものもし名所旧跡に志あらば、よろしく此等の土地を購ひて公共の遊園地となすべく、又たその所有者にして志あらんには、或る時期を限りて諸人の縦覧を許すべし、…(中略)…豪商、大官の別荘、名園の如きは、斯る制規を設けて成るべく諸人に縦覧せしむること、四民苦