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池田晶子の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 8月10日 ヘラクレイトス。 - 夢見るように、考えたい

    「人間である以上誰でも自己自らを認識し、正しく思慮することができる」(Fr.116)と教え、「余は余自らを探求した」(Fr.101)と昂然として断言する彼は、かの「内面への途」を知悉する神秘道の達人であった。彼は人間霊魂の恐るべき深さを熟知していた。「何処まで行ったとて、如何なる途を辿ったとて、霊魂の限界は見出せないであろう。それほどまでに深いのだ」(Fr.45) 井筒俊彦 「神秘哲学」 P.48 魂、という語を私は日常ではあまり用いない。使ったとしても例えば無害な「高校球児」への形容詞や竈門炭治郎が例えば「魂を燃やせ」と叫ぶなど、まあ気合の入った精神、という風情もまとった感じが、日々の生活で個人的に見聞きする中での使用例であるように思う。 それがいいとか悪いとかではないし、日本日常ではほかにも「霊魂」と同じ意味で使用する例も案外多い。すると前述のヘラクレイトスの断片でつかわれる「魂」の意

      8月10日 ヘラクレイトス。 - 夢見るように、考えたい
    • 8月7日 死とはなにか。 - 夢見るように、考えたい

      池田晶子さんの本は基本だいたい所有させて頂いているが、そんな中でアンソロジー、「死とはなにか」がある。 死とは何か さて死んだのは誰なのか 作者:池田 晶子 毎日新聞出版 Amazon 若い時は、死ということを考えただけで死んでしまう気がして、死について考えることだけでもいわば死神を呼び寄せるような気がしていた。 若い人が、老人を見ることを忌諱するのは、いつか自身が老いることを避けようもなく、無意識のどこかで強く意識されるが故だともいう。 西洋の箴言、「メメント モリ」=死を想え、あるいは池田さんが西洋の墓碑銘で見つけられたという「次はお前だ!!」という言葉なども、そうした「怖いからそのことを考えたくもない」という心理を、一気にではなくも、じわりと変えてゆくべきであろう、ということに気づかせてくれる。 似たようなものでは、死と比べると一段緊迫度は下がるかもしれないが、「年金」などもある。一

        8月7日 死とはなにか。 - 夢見るように、考えたい
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