「人間である以上誰でも自己自らを認識し、正しく思慮することができる」(Fr.116)と教え、「余は余自らを探求した」(Fr.101)と昂然として断言する彼は、かの「内面への途」を知悉する神秘道の達人であった。彼は人間霊魂の恐るべき深さを熟知していた。「何処まで行ったとて、如何なる途を辿ったとて、霊魂の限界は見出せないであろう。それほどまでに深いのだ」(Fr.45) 井筒俊彦 「神秘哲学」 P.48 魂、という語を私は日常ではあまり用いない。使ったとしても例えば無害な「高校球児」への形容詞や竈門炭治郎が例えば「魂を燃やせ」と叫ぶなど、まあ気合の入った精神、という風情もまとった感じが、日々の生活で個人的に見聞きする中での使用例であるように思う。 それがいいとか悪いとかではないし、日本日常ではほかにも「霊魂」と同じ意味で使用する例も案外多い。すると前述のヘラクレイトスの断片でつかわれる「魂」の意