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町石道の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 丹生官省符神社(高野山町石道)-お寺の領土を神様が守る?-

    石造鳥居と第百八十町石 高野山町石道は、慈尊院境内の西側にある石段から始まります。ここから丹生官省符神社と勝利寺、紙遊苑に寄りながら、山道を登っていきます。 「丹生官省符神社」の石碑が立つ石段の途中には、石造りの鳥居が立っています。もともとは別の氏神の鳥居でしたが、氏神が丹生官省符神社に合祀されたため、大正10年にここに移設されました。 丹生官省符神社 そのすぐ右手には、最初の町石が立っています。慈尊院から壇上伽藍までの間には180の町石があり、壇上伽藍に近い方から番号がつけられているので、この町石は「第百八十町石」となります。 丹生官省符神社の広域地図目次 丹生官省符神社の成り立ち 石段を登り切ると、今度は赤い鳥居をくぐります。広場の向こうに、丹生官省符神社の社殿三棟が建っています。 丹生官省符神社は、空海が高野政所(慈尊院)の守り神として創建した神社です。 「官省符(かんしょうふ)」と

      丹生官省符神社(高野山町石道)-お寺の領土を神様が守る?-
    • 高野山町石道を歩いてきました! - TH69のときど記ログ

      TH69です。 土曜日は嫁ハンと高野山町石道で大門まで往復ハイキングしてきました。 丹生都比売神社の駐車場に車を置いて、8時過ぎ頃に出発しました。 丹生都比売神社は紀ノ川からひと山越えた天野の里にあります。 町石道の六本杉を目指して登り始めます。 いい天気になり、日差しが眩しいです。 葉裏シリーズ(笑)の「朴の木」 六本杉に到着です。ここで慈尊院からの町石道に合流します。左が慈尊院、右が大門です。 地図の赤い線が町石道です。 鳥居が二つ並んでいる「二つ鳥居」です。 二つ鳥居から長閑な天野の里の展望。 さあ行こう!と思って歩き出すと、いきなり通行止め!(汗)。一応、迂回路はあるようなので、そちらへ向かいます。って、結局神社の近くまで下ろされたわ(涙)。 画像地図にある通り「二つ鳥居」から「神田地蔵堂」までが通行できません。 二つ鳥居から案内板の指示に従い、一旦天野の里まで降り「紀伊高原ゴルフ

        高野山町石道を歩いてきました! - TH69のときど記ログ
      • 世界遺産「熊野古道を行く」山麓から180町の町石道を歩く | soto lover - ソトラバ

        神々が鎮まる特別な地であり、日本の宗教の原点とも言える紀伊山地には、熊野三山、高野山、吉野・大峯の三つの霊場があり、それを結んでいるのが熊野古道。『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産登録されています。 道として世界遺産に登録されているのは、スペインとフランスにまたがる『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』と、熊野古道の二つだけ。 筆者は、熊野古道が大好きで、度々訪れているのですが、暑い季節は高野山がベストだと思っています。山上の標高は約1000m、深い森に囲まれているため、都市部と比べると10℃くらい涼しくて快適です。というワケで、梅雨のさなかに「町石道」を歩いてきました。 弘法大師が月に九度通ったとされる道 「九度山」と言えば、関ケ原の合戦後に真田幸村が蟄居していた地として知られていますが、地名の由来は弘法大師にあります。高野山を開いた弘法大師の母が、山麓の「慈尊院」というお寺

          世界遺産「熊野古道を行く」山麓から180町の町石道を歩く | soto lover - ソトラバ
        • 勝利寺(高野山町石道)-空海の厄除け寺-

          丹生官省符神社のすぐ近くには、空海が厄除けのために建てた「勝利寺」と、空海が製法を伝えたという「高野紙」の資料館、「紙遊苑」があります。 目次 「高野山開創前の寺」勝利寺 丹生官省符神社のすぐ先、右手にある急な石段を登ると、勝利寺と紙遊苑があります。 勝利寺 勝利寺は、空海が高野山を開創するよりも前に創建したと伝えられる寺院です。 空海は弘仁6年(815年)、42歳(数え年)の厄年に、厄除けのために十一面観音を奉納しました。嵯峨天皇から高野山を賜わったのは、その翌年のことです。 石段を登って行くと、古い仁王門が現れます。 仁王門は江戸時代中期、安永2年(1773年)の建築。中に鎮座する仁王像は延享元年(1744年)の作で、高野山奥の院の明遍杉を彫ったものと言われています。 仁王像の周りには沢山の草履が奉納されています。勝利寺は、慈尊院や丹生官省符神社が移転してくる以前から高野山町石道のスタ

            勝利寺(高野山町石道)-空海の厄除け寺-
          • 高野山町石道 -1200年の歴史を持つ巡礼路の地図と解説-

            高野山町石道(ちょういしみち)は、紀ノ川沿いの九度山・慈尊院から高野山の壇上伽藍、そして奥の院の弘法大師御廟を結ぶ、全長26キロメートルの参詣道です。 空海による高野山開創の時に設けられ、以来1200年にわたって高野山の表参道として歴史を刻んできました。 町石道を歩くモデルコースと主な見どころを、オリジナルの地図とともに詳しくご案内します。 目次 町石道とは 「町石道(ちょういしみち)」とは、1町(およそ109メートル)ごとに「町石」と呼ばれる道標を立てた参道のこと。現在では、「高野山町石道」と同じ意味で使われる言葉です。 「高野山町石道」は、空海が高野山を開創した当初からの表参道です。六本杉までの最初の区間は、平安時代には東側の三谷坂がメインルートでしたが、それでも月に9度、空海が母に会いに行くために歩いた道です。 高野山の中でも、空海が生きた時代の雰囲気を特によく伝えている貴重な遺構で

              高野山町石道 -1200年の歴史を持つ巡礼路の地図と解説-
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