冬の太陽はあたたかく、いとおしく有り難いものである、と言う意味です。 文字通りの意味から、たとえの意味として【温和で惠深い人】へと変化しました。 『春秋左氏伝』文公七年のところに、【冬日愛すべし】と【夏日(カジツ)畏(おそ)るべし】が対比されて、でています。 【夏日畏るべし】は、きびしくて恐ろしい人物の喩えとして記載されています。 春秋時代、魯の文公七年(B.C.620年)、狄(テキ)の部族が魯の西部に侵入しました。 文公が晋に訴えると、晋の趙宣子(趙盾:チョウトン)は賈季(カキ)に命じて 狄の鄷舒(ホウジョ)を叱責させました。 鄷舒(ホウジョ)、賈季(カキ)に問ひて曰く、 鄷舒が賈季に問いました 趙衰(チョウシ)と趙盾(チョウトン)と孰(いず)れか賢なると。 父の趙衰と子の趙盾とはどちらが優れた人物ですかと。 賈季對へて曰く 賈季が答えました。 趙衰は冬日の日(杜預注:冬日は愛すべく)、