気の良かった知人がふと家にやってきて、自分の信じている宗教がいかに最高かという話を数時間にわたって説いたとき、もういい、帰ってくれと大泣きしたのは20歳のときだった。 妄信的で、目がギラギラしてて、こちらが何を言っても聞き入れないだろうという絶望はあったけれど、決して威圧的だったわけではなく、今となれば何も泣くことはなかった。ちょっと次の予定が~とか適当なことを言って、切り上げて逃げればよかったのだ。ところが当時の私には、そういう風にうまくやる知恵がなかった。 例えば誰かに対面で嫌味を言われたとしても、33歳になった今なら、何も聞かなかったことにしてその場を適当にやり過ごし、5分もあれば気持ちを切り替えることができる。体を傷つけられたわけでもなし、誰かが瞬間的に発した一言なんてないと思えばないのだから、ははは、と笑って処理できる。 あるいは、例えばミーティングの席で気まずい沈黙が流れたとき