2010年05月10日 豎子与に謀るに足らず カテゴリ:史記 豎子与に謀るに足らず(じゅしともにはかるにたらず) 意味 考えの浅い者とは、重大なことについて相談しても仕方がないということ。 漢の元年(BC.206) 秦の都の咸陽を陥落させた劉邦は覇上で項羽の到着を待っていた。 項羽はというと咸陽への一番乗りと財宝を独り占めしたという密 告を聞いて劉邦を殺そうと思っていた。 楚の大将軍、項羽の軍勢は40万、一方の劉邦軍は10万しかいなかった。 しかし項羽の叔父の項伯が劉邦の軍師の張良に策略をもらしたので、劉邦が項伯にとりなしをたのんだので戦はいったん中止になった。 戦は一時中断したものの、劉邦は保身のために少人数で項羽と会うことにした。 これが有名な、「鴻門の会」である。 項羽の軍師、范増(はんぞう)はというと、絶好の機会だから項羽に劉邦の隙を見て殺すように耳打ちしていた。 劉邦は一番乗りの