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鉄斎の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • フィリップ=マーロウの言葉と山岡鉄斎の生涯を振り返りながら、中学時代に受けた歴史の授業を思い出し、自分の選んだ人生の中で自分なりに強く在りたいなぁなんて思ったこと - 失われた世界を探して

    2024/02/11 「強くなければ生きていけない。優しくなければ意味がない」 僕は学生時代に大学の寄宿舎で生活していたけど、そこはまさに「ザ・寄宿舎」って感じの古めかしい鉄筋の建物だった。 実際、戦前に建設されていて、終戦直後にはGHQに接収され米軍の宿舎にも使用された。大学の敷地内にあるその寄宿舎に、20歳前後の若者たちが地方から集い、青春を謳歌して、卒業(卒寮)して行ったのだ。部屋も廊下も今じゃ考えられないくらいボロボロで、時代は既に平成だったけど昭和のデカダン宜しく、そんな環境の中、僕たちはジャージ姿でウロウロし、毎晩どこかの部屋に集まっては酒を飲み、騒いだ。 もしちょっと一人になりたければ屋上に上がって、鉄製のフェンスにまたがり、眼下に広がる街の風景を見ながらゆっくり煙草を吸った。 20畳3人部屋、というのが寮の規則だったが、僕も1年生の時は、4年生と2年生の先輩と同じ部屋で暮ら

      フィリップ=マーロウの言葉と山岡鉄斎の生涯を振り返りながら、中学時代に受けた歴史の授業を思い出し、自分の選んだ人生の中で自分なりに強く在りたいなぁなんて思ったこと - 失われた世界を探して
    • 富岡鉄斎は心のパイセン - りとブログ

      今、京都国立近代博物館で「没後100年富岡鉄斎」という特別展が行われているんですよね。 www.momak.go.jp 「最後の文人画家」と称される人なのですが「文人画家」ってのは元々は中国で、仕事にせずに教養として絵を描いてた人たちのことを称していて、それが日本に入ってきて、一時期は「中国風の絵を描く人」みたいな意味合いで使われてたものが次第に中国のように、一定の様式にとらわれず作者の感性の赴くままに自由にのびのびとした絵を描く人たち、みたいな感じで使われるようになったと理解しています。 また、文人画家の人たちは独自のネットワークを持っていて、割とみんな仲良かったようなイメージがしていて、それってつまり、今で言うところの、普段はサラリーマンをしてるけど余暇に趣味でお絵描きを楽しみ、ネットに公開してわちゃわちゃしてるぼくらと似てるよねー、なんて勝手な親しみを感じていたりします。 で、鉄斎さ

        富岡鉄斎は心のパイセン - りとブログ
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